気功に自発動(功)と呼ばれる功法があります。
 これは自分の意識とは無関係に体が動きだすというもので、体の根源的な働きと考えられています。
 体のあちこちが動き、その動いたところの気の詰まり・体の歪みを取り除き調整してくれます。
 気功というと、一般に人が思い浮かべるイメージは、気功師が手をかざすと患者が勝手に動き出す、というものかもしれません。これも自発動の動きの一つと言ってもよく、心身をリラックスさせてるときに、送られた気を感じやすくなって動き出すことが起きます。
 人によってそれぞれ違う動きが出て、その人の不調を治し、体を丈夫にしていってくれるものです。


 気功の功法と言いましたが、自発動と同じような動きは、古神道やヨガ、民間療法にもあり、前の記事で紹介した野口整体でも活元運動という名前で行われています。
 ちなみに野口晴哉さんは、この動きを無意識に体を整えている寝相と同じ性質のものだ、と言っています。



 私は、だいぶ前から、この自発動を起こせるようになりました。そして毎日時間の許す限り行っています。
 自発動を続けて感じた気づきは、私にとってすごく大切なことです。それはこのブログでお伝えしたい事の大本になると思っています。


 私がこれを始めたのは十年以上前で、自己流で体を強くする方法を考えたりしている頃でした。当時は自発動のことは知らなくて、偶然、自分の体の中にこの動きがあるのを発見しました。
 行えばスッキリするし、どうやら体を整える動きのようだと分かり、大発見だ、と興奮したのを覚えています。
 これを見つけられたのは、気に敏感だったからではなく、私の体の歪みが大きかったので、その反動として体が正常に戻るために強い動きとして、これが現れたからだと思います。
 私は落ち着きがなく、じっとしてるのが苦手な方なのですが、その落ち着きのないそわそわした動きの中に、自発動につながるものを見つけたのでした。
 体を健康にする原理を発見したのだから、これをやればすぐに丈夫な体になり、さらにそれ以上の能力も手に入るのでは、と期待しました。しかし、私の体の歪みは普通の人以上だったのでしょう、現実はそうも簡単ではありませんでした。
 
 
 思い出すのは、自発動をやり始めたころ、鏡で見た自分の背中の弱々しさです。
 当時は、登山なんかもして体力はあるつもりでした。しかし、鏡の中の背中は、私が現在まで他の誰にも見たことがないくらいのもので、肉付きはないし、背骨はギザギザしたかんじで真っ直ぐではなくて、全く力感がありません。
 体の背面にその人の生命力が表されている、と私は考えていますが、あの弱々しさは私の幸せとはいえない人生を象徴しているようでした。


 それからだいぶ月日は経ちました。長い間、自発動を続けた成果はあったと思います。
 歪みがはっきりみてとれた腰椎は整い、背中の上部には歪みが残っていますが、全体的に肉も付いて、昔の背中とは明らかに変化しました。でも、普通一般のレベルになんとかなったかな、という程度かもしれませんが・・・。
 それでも、あのままの背中で生きていけば、良くない結果が待っていただろう、と今では思っています。
 そして、これからも続けていく中で、この先どんなことが起きるのか、動きをもたらす本体が何を意図しているのか、といったことを知るのは今後の楽しみではあります。



 背中が貧弱なら鍛えればいい、と思われるかもしれないですが、筋トレなどをしてしまうと、その歪みを固定してしまうことになります。
 歪みは複雑に成り立っていて、簡単に正せないことが自発動を観察すると分かります。
 自発動が歪みを直す動きを見ると、人がやろうとして出来るものではないことが分かります。
 これは例えですが、背骨を少し左に傾けて、それから首を反らし、腕を微妙にひねるといった動きを、体を整えるために自発動は行います。これは決して意識的には出来ません。

 世の中には歪みを正す体操や施術がたくさんあります。これらは直そうとしている箇所の歪みを無くすかもしれませんが、無くなったように見える歪みは別の所へ移動した、というだけで根本的な解決にはなりません。
 自発動の迷いのない正確な動きを見ていると、体は全てを知っているので、私たちに出来るのは、その流れにゆだねる事だけなんだ、と思えます。


 次回は、そんな自発動の起こし方について書いていきます。

 (前回からの続き)

 自発動の起こし方については、私も偶然見つけた感じだったので、ハッキリと確かな事はいえません。
 しかし、自分なりにこうすればいいんじゃないか、ということを今回説明していきます。


 何か真面目な式典やお葬式などに出席すると、真剣な雰囲気なので皆、体をめったなことでは動かさずにじっとします。
 そんな時、初めはじっと動かないでいられるけど、10分、20分と経つにつれ、ツラくなってきてモジモジ、ソワソワと動き出してしまう経験が誰にもあると思います。
 この動かないようにしてるのに体が勝手に動きだす感じが、自発動の感覚をつかむときに役立つと私は考えています。


 まず、最初に正座をして、目を閉じて動かないようにします。意識はリラックスさせて、ボーっとしておくと自発動は起きやすいです。
 正座が出来ない、苦手という人は立ってやってみて下さい。 
 そのままの姿勢で時間が経つと、だんだん体を動かしたくなってくると思います。
 座禅・瞑想などではこういうとき、体を動かさないのが良いとされるのでしょうが、ここでは体の求めるまま、この動きに意識を添わせ身をゆだねてください。
 目をつむって体に何が起きるか観察していると、意識したのではない動きが出てくるのが分かると思うので、それをコントロールせずに一緒に動いてみると、だんだん動きが連続してくると思います。
 
 自発動が起きたら後はただ動くままにします。(正座は崩して構いません)
 激しく動いたり、ものすごい体勢になったり、全身のあらゆる箇所が動いたりして怖くなる事もあるかもしれませんが、続けていくと必ず止まるので動きにまかせてください。
 ここで大切なのは、動いている間の意識の感じをつかむことです。
 その意識の感じを覚えると、次に行う時に自発動を起こすのが早くなり、正座以外の姿勢でも起こせるようになります。さらにその意識をいつでも起こせるようにすれば、いつでも自発動の動きが出せるようになります。



 そのほかの自発動の起こし方については、気を入れて起こさせる整体・気功の専門家もいるみたいです。
 自分で行うにはネットで調べる限り野口整体のやり方しか見当たりませんが、具体的に詳しく説明されているので参考にしてみて下さい。



 自発動を否定的に見る人も少なからずいます。
 これを長い期間行ってきた者としては、自発動は人の意識を超えた生命本体からの、健やかになろう、最善の状態を作ろう、とする働きの現れと言っていいと思っています。
 これまでの私の体の変化からしても、決して悪い病的なものだとは思えません。
 しかし、人によっては合う合わないがあるかもしれないので、一度体験して心地よくなるのか、不快になるのか自ら判断してみて下さい。
 偏差(気功の用語で功法をやりすぎて心身が病的な状態になる事)の問題があると言われますが、私としては無理に頑張ってやったり、努力する気持ちでやったりしなければ危ないことはないと思います。つまり、やりたい時にやって、止めたくなったら止める、気乗りしない時はやらないという事です。


 自発動という気功用語を使いながら、気についてはほとんど触れませんでした。
 私は気をほんの少ししか感じられないので、自発動における気の働きはよく分かりません。気の影響もあるのでしょうが、自分としては、歪みを取り除くために体自体が起こすものだと考えています。
 でも、本当に奥深いものなので、この先何が起こるか分からないし、体の歪みの少ない人がやればいろいろ面白いことも出てくるかもしれません。


 私はこの動きこそ体の歪みを正すのに最適なものだと思っています。
 自発動をやると心地よさを感じます。そして、体を歪ませるのは逆につらい不快な事ではないでしょうか。
 私の体の歪みは幼少期の問題と、無理な努力や頑張りが大きな要因だったと思います。
 人生にはつらくて、頑張らなくてはやっていけないことが多いですが、基本的には無努力な快の気持ちで生きないと、だんだんと歪みを背負っていってしまいます。


 最後に野口晴哉さんの言葉を
「人間は快い方向に動いていれば健康になれるし、健康になればどういうことをやっても快くなる。そして、その快いという方向に逆らわないようにさえしていれば、自然に丈夫になっていく。
それを意識で「良薬は口に苦し」ということを考えてしまう。それは間違い。頭を通さないで意識の快さをそのまま感じて、それが行動につながるように生活すれば人間は自然に丈夫になる。」「整体入門(ちくま文庫)」より

 自発動の記事の一回目で、自発動とはどういったものかを説明するのに、「自発動は寝相と同じ性質のもの。寝相では無意識に体を整える動きを行う」という野口整体の野口晴哉の言葉を使いました。
 こういった動きを野口整体では活元運動、生理学では錐体外路系反射と呼んでいます。

 体が歪みやコリを直すために無意識で行う動きには、寝相のほかに、あくびや伸び、貧乏ゆすりなどがあります。これらも自発動的な動きです。
 貧乏ゆすりは行儀が悪いもの、と思われるかもしれませんが、これはストレスや不安、疲労を解消するために体が起こしているものなので、したいと思ったら大いに貧乏ゆすりした方がいいそうです。
 実際、自発動を行っているといろんな動きが出てくるので、貧乏ゆすりのような動きも起きます。


 手いたずらも良くないことのように思われて、学校では注意されたりします。これも自発動中に、手いたずらみたいに指をいろいろと動かす場合があるので、何らかの意味のある行為に思えます。
 

 手は第二の脳と言われ、脳と密接なつながりがあります。手を動かすと脳の広い範囲が刺激され、血流が増加してそれが脳の活性化につながります。編み物や楽器の演奏が脳にいいのはこのためです。
 一方、手いたずらにはなんの目的もないですが、考えてみると、これはまさに「純粋」な手の運動と言えるのではないでしょうか。
 だから、注意されるようなものではなく、逆に脳の活性化に役立つ立派で純粋な行為といえるのかもしれません(笑)


 三年ほど前、自発動中に指の動きばかり起きる時期がありました。(別の時期には足の指の動きがよく起きたこともあります)
 始まると10分、20分とけっこう長く動き続けるんです。
 この動きによって体は自身のどこかを整えていたのだと思います。その時の私の実感としては、手とつながっている脳の歪みみたいなものをほぐしてるのでは無いか、と感じながらやっていました。
 最近はこの手いたずらの自発動は全く起きなくなりましたが、たぶん歪みのようなものが整えられたのでこれを行う必要がなくなっのでしょう。


 私は昔からお茶を飲むときなんかに、コップをせわしなく持ったり、何かをいじったりと手の落ち着きがない人間でした。
 でも、自発動中の手いたずらを行わなくなってからは、こういった落ち着きのなさはなくなり、手を動かさずにじっとしていられるようになりました。
 手の余計な動きがなくなったぶん、手とつながっている脳も静かになったと言えるのでしょう、前よりも落ち着いた気持ちでゆったりと座っていられるようになったと思います。


 自発動中の手指の動きはなくなりましたが、他のところ、特に背骨や首などは今でもよく動きます。
 こういったよく動くところも続けていけば、指と同じように動きが少なくなっていくと思っています。
 そうやって動かなくなっていくと、自発動の次の段階として、もっと微妙な動きで体を整えるようになる、と古神道の自発動的な行法「霊動法」を何十年と行っている人が言ってるのを本で読んだことがあります。
 霊動法の目的は意識を浄化して神秘体験を得る、というスピリチュアルなものだったと記憶してますが、肉体の健康を作りだそうとしているように見える自発動が、突き詰めていくと脳の健康、そしてスピリチュアルなものを目指して自らを整えていくのは十分あることだろうと思います。

 
 今、手いたずらがひどくて何とか止めたい、と思っている人っているのでしょうか?
 もしいたとしたら、私の経験から言わしてもらうと、それは止めようとせず、思う存分やれば結果的に止められるようになると思います。止めようと努力すると、かえって止められなくなってしまいます。
 こういった無意識の動きは、体を良くしよう、気持ちを静めようとして起きています。
 だから体が自ら納得するまでやって、その目的が達成されれば、それを行う必要はなくなります。(これは他のさまざまなことにもいえると思います)


 タバコとケータイも自発動の手いたずら的な行為に似ています。
 タバコを吸う理由には、ニコチンの常習性のほかに、手持ち無沙汰感というものがあるかもしれません。タバコを手にしてないと気持ちが落ち着かないから吸うという人も多いみたいです。
 これは言ってみると手いたずらへの欲求があるということでしょう。そのため、専用のグッズやペン、硬貨などを持って手持ち無沙汰を解消して禁煙する人もいるそうです。

 スマホやネット・ゲームへの依存にもタバコと同じく、手持ち無沙汰に耐えられない、手いたずらへの欲求があるという面があるのではないでしょうか。
(少し話はズレますが、喫煙者が減っているからなのか、ケータイを操作しながらタバコを吸う人ってあまり見ない気がします。手いたずらとしては一つあればいいということなのかもしれません)

 これらのことを手いたずら的に行う原因として、脳の歪み・もつれがあると私は考えています。
 手の置き場所に困る、手を動かしてないと落ち着かない、ということが無意識的な原因で、タバコを吸ったり、スマホやゲーム依存になったりしている人もいると思います。
 この場合、それをやめたかったら、ペンや石ころなど関係ない物かを持つか、又は何も使わずに手いたずらをすると効果があるはずです。もちろん自発動でもいいでしょう。


 スマホやタバコをいじるのを止めて、心静かに周りの景色を見わたすこと、自分に直接関係なく思えるものをよく見ることには、とても大切な意味があると私は思います。
 しかし、私たちはどうしても体や手を動かしてしまい、落ち着いていられません。
 意識的にじっとしてようとしても簡単にはできませんが、体が自由に動きたいようにさせ続け、「もういい」というまでやらせたとき、自然に心身が静かになるということが起きてくるように思います。

 むかし、NHKの「課外授業 ようこそ先輩」という番組で、音楽家の巻上公一さんが出身小学校に行き、子ども達に宇宙語で歌うのを教える、というのを見たことがあります。
 宇宙語というのは、思いつくままでたらめに口を動かし、音を発していくというかんじのものでした。
 ずいぶん前に見たので、番組内容はほとんど忘れてしまいましたが、ラストシーンで巻上さんと子ども達が宇宙語で語り合うシーンがとってもシュールだったのは印象的だったので覚えています。


 自発動を行っていると時おり、この宇宙語のようなものが口を衝いて出てくることがあります。
 自分ではやろうとしてないのにムニャムニャ言ったり、破裂音がたくさん出たりするかと思えば、でたらめなお経みたいなものがいろんなテンポで出てきたりします。

 巻上さんの番組を見ていたので、自分ではこの現象を宇宙語と呼んでいました。
 宇宙語という言葉は、歌唱の可能性を追求する巻上さん独自のものと思っていました。
 しかし、この記事を書くにあたってネットで調べてみると、どうもそうではなく、赤ちゃんが言葉を覚える前に意味のない音を発するのをそう言ったり、スピリチュアル系のほうの宇宙語があったりするのも知りました。
 スピリチュアル系のものは、ある意識状態で出てくる意味不明の声を宇宙からのものとして、その宇宙人からのメッセージを翻訳して読み解く、とかいった感じのものらしいです。
 自分たちで解釈するなら自らの願望をそのまま反映してしまうだろうと考えましたが、宇宙語は愛に満ちた善いメッセージしか送られてこないらしく、You Tubeで聞いたある宇宙語の響きはとてもやさしい感じのものだったので、こういった癒しを必要とする人もいるんだなと思いました。



 私の自発動中の声は、そういった宇宙からの交信や、忘れられた古代語を思い出したとかではなく、話すために使われる口と舌の動き、息の使い方などの機能と、脳の中の声を発する部位の調整のために起きているのではないか、と思っています。先程の言った赤ちゃんがでたらめに話すのと似た感じといえるでしょうか。

 これをやっていると最終的にはお経的な節まわしになることが多くて、不思議でおもしろいんですが、お経を唱えるとそのリズムによってアルファ波やセロトニンなどがでてリラックスするということなので、私の脳も気持ちを落ち着けるためにお経的なものを自発動中に起こさせているのかもしれません。



 声を出す宇宙語の自発動よりもしばしば起きるものとして、声なしで口が勝手に動く場合があります。
 自発動3の記事で、手いたずらは自発動的な動きだということを述べましたが、今回話す口の動きを手いたずらになぞらえて「口いたずら」と個人的には呼んでいます。
 この動きは私の場合、アゴを左右にずらす動かし方で出てきます。
 動くのを鏡で見ると、とんでもない変な顔になったり、顔の形が戻らなくなるのではというくらい動いたりもします。さらに舌の動きが出るときもあります。


 最近はこの動きで整えられたのか分かりませんが、以前はアゴが痛くなって口がうまく開かず、ご飯がうまく食べられない日が2日くらい続くことがありました。
 病院に行ってないのでハッキリ分かりませんが、軽い顎関節症みたいなものだったと思います。
 むかし鏡で口を開けるのを見たら、アゴの関節の所がスムーズに開かずに、ガクガクガクとブレながら開いているのでビックリしたことがあります。
 あの不自然なアゴの関節の動きを考えると、どれだけアゴ周辺の関節と筋肉に複雑な歪みがあったのか想像がつきません。今は滑らかに開閉するので、これに関しては明らかに口いたずらのおかげで歪みが取り除かれたと思っています。


 今でも口いたずらはときどき出てきますが、その様子を観察していると自発動の体を整えるやり方の精妙さに感心します。
 顎関節症の治療は難しいというのを聞いたことがありますが、自発動は自身の歪みを整えようと起きるものなので、アゴの関節のような微妙な歪みの改善にも期待できるはずです。

 自発動とそのやり方については自発動の記事をご参照ください。

 今回は、首を動かす自発動(首いたずらと個人的に呼んでいます)について書いてみたいと思います。


 私が自発動を行うときには、あぐらで座り、背中の上部や首を動かすことが多いです。
 首の動きは一定せず、横に倒したり、ねじったりと微妙に動きjます。これは歪みの複雑さを暗示していると思います。
 十年以上自発動を続けていますが、いまだにスッキリとは整っていません。
 
 ただ胸椎の上部や頚椎の歪みは、誰にとっても複雑で大きいもののようです。
 気功の小周天(丹田で発生させた気を肛門から脊椎に沿って頭頂まで上げていき、体の前面を下って丹田に戻して循環させる行法)でも、夾脊(胸椎)と玉枕(首)と呼ばれるこの二ヵ所は気の通りにくい所とされています。
 また神道の自発動的行法、霊動法の指導者中野裕通氏の本でも、この部分はカルマがたまっている所という表現で書かれています。
 

 歪みがあるといっても、私の場合、どこかがしびれるとか、痛いといった症状があるわけではないです。
 体が自発動で歪みを直そうとするのは自分でやろうとしていることではありません。したがって、私自身は客観的に見ているかんじなのですが、とても興味深いです。
 これはやれば気持ちいいということもあり、長い時間続けたくなります。
 首を動かして気持ちいいというと、首の骨をポキポキ鳴らす癖の人がいますが、鳴らすのを目的に首を動かすのは危険ということなので注意したほうがいいみたいです。


 私の思う歪みのない首の形は、うなじの縦の中心が窪んでいて、その両側に沿って筋肉の盛り上りが見えるものです。
 これは小さい子どもに多くみられます。やはり歪む原因にさらされるのがまだ少ないからなのでしょう。
 大人だとこういう首の人を見かけることは少ないです。しかし、高齢者にはこの首を持つ人を中年世代よりたくさん見かけるので不思議に思っています。
 時代的に苦労も多く、また長く生きているお年寄りの方が首の形が良い人が多くて、戦後生まれの人にそういった首が少ないのはなぜなのでしょうか?
 このことについては生活様式の違い、和式便所や正座の習慣、今より体を動かした生活、また心のありようも関係しているのかも、と私は考えています。



 カイロプラクティックの創始者パーマーは、首の上部にある頸椎1、2番を重要視しました。
 この部分は、体温調節、呼吸などの生命の根本機能を司る脳幹と大きく関係する所です。
 ここが歪んでしまうと、脳幹の働きを阻害してしまい、生命への悪影響が大きくなります。そのため体はなるべくここを守ろうとして脊椎の他の部分を代わりに歪ませます。
 そして、その脊椎の歪みのために病や不調などが現れるのですが、それらを治すためには代わりに歪んだ部分ではなく、大本の一番重要な頸椎上部の歪みを取り除く必要があるとパーマーは考え、治療法を編み出したそうです。

 パーマーが頸椎上部を歪ませる原因としたものは、幼児期の精神的ショック(虐待や愛情の不足など)によるトラウマや化学物質、思考(社会的要因?)ということです。
 そして、治療によって頸椎上部の歪みが取り除かれると、生命が本来持つ「イネイト」と呼ばれる自然治癒力のような力が働きだし、体を健康に導くと主張します。
 イネイトというものは、自発動が起きる原因の説明になるとも考えられますし、この上部頸椎の話はとても大切なことを言っているように思えます。
 


 私の首がどうしてこれだけ歪んだのか分かりません。たぶんいろんな要因があってのことだと思います。 
 首を動かしてみるとスムーズにいかないので、いつも「首の回らない」状態にあるといえます。
 でも、前の口いたずらの記事で書いたように、自発動で歪みが少なくなることは確信しているので、体がやりたいと欲する時は、首いたずらをよくするようにしてます。
 自分としてはこれをやっている時間は、座禅をするのと似ていると感じていて、修行のように励んでいます。
 まあ、努力してやっている訳では全くなく、時間をとるようにしているだけなので大変なことは何もないのですが。
プロフィール

Author:まやと
努力なしで最大限の成果を得られる健康法を日々探求しています。趣味 野菜料理を作る 音楽を聴く
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