私は以前のブログで書きましたが、パニック障害だったことがあります。病院に行ったり、薬を飲むことが好きでない私は、自力で治す方法をいろいろ試して、なんとかパニック障害の症状を克服しました。
 学生時代から精神的に弱く、神経質なところがあり、それが病気につながったのだと思いますが、今でも性格の神経質なところはあまり変わらずに残っています。
 自分自身で神経質だなと思うところは、匂いや音に敏感なこと、内と外で着るものをきっちり分けること、運転中よそ見をしたときに人をひいてしまったのではと確認したくなることなどです。また、昔のことですが、体は何でもないのに何か悪い病気になっているのでは、と疑い困ったというときもありました。
 これらは昔のことであったり、コントロールできる程度の神経質さなので、今はそれで困っているということはありません。しかし、これらのことがエスカレートして、日常生活に支障をきたしてしまうまでになると、強迫性障害という精神疾患である疑いがあるそうです。
 強迫性障害は汚れが気になっていつまでも手を洗う、ガスの元栓や家の鍵が気になって何度も確認する、人を傷つけてしまうのではと考えて行動できなくなる、など多くの症状が特徴としてあります。
 私はたまたまパニック障害になりましたが、強迫性障害の要素も多く持っていますから、こちらになっていた可能性もあったかもしれません。

 パニック障害や強迫性障害も含めたさまざまな精神疾患は、境界があいまいでつながっているという説があります。私はこの説は正しいところがあると思っています。多くの精神疾患はいろいろな症状が現れますが、原因は結局同じところから来ているため、その対処法も同じものになるのかもしれません。
 それゆえ、パニック障害を克服した私の考え方も強迫性障害の回復の助けになるかもと考え、今回の記事を書いてみることにしました。
 症状で悩んでいる人の参考に多少でもなれればと思っています。

 この記事を書く前に、強迫性障害について少し詳しく知ろうと何冊か本を読んでみました。
 手を何時間も洗ったり、確認のしすぎで外出できなくなったりと、実際に苦しんでいる人がいることを知ると、本当につらいだろうなと思います。
 治療法としては、パニック障害と同じく、薬物療法と曝露法(問題に少しずつ直面して慣れていく)などの認知行動療法が主なものみたいです。
 強迫性障害について書かれたほとんどの本では,、知行動療法が勧められていますが、病院で行われる治療は投薬中心ということが多いようです。
 薬も必要な場合もあるかもしれません。しかし、治療に主に使われるSSRI(私は一度も飲んだことがありませんが)は、副作用や依存性があってあまり良い薬ではないですから、薬を飲むだけという治療は避けた方がいいように思えます。
 やはり治すためには、自分なりにでも認知行動療法に取り組んだ方が効果的でしょう。

 強迫性障害を発症する大きな原因は、脳の一部の機能が正常に働かないためで、生育環境や性格は関係ないと現在の精神医学では考えられているみたいだけれど、これは本当にそうなのでしょうか?「原因は脳の機能異常だから薬を飲めば治る」と薬をたくさん売りたい側の論理でそう言っているのでは、と極端な薬嫌いの私などは疑ってしまいます。
 実際には脳の機能障害も含めたさまざまな要因から発症するのでしょうが、大きな原因として幼少期の育てられ方の問題があると私は思います。
 この問題からくる感情のもつれが解消されずに残ることで、いつも不安を抱え、さまざまな生きづらさを感じるようになる。そういった人が過剰なストレスを受けると精神疾患につながっていく、ということではないでしょうか。(ストレスも精神疾患をもたらす原因なので、生活の中でストレスになっていることを見つけて解消することは大切です)

 幼少期にありのままの欲求・感情を認められずに育てられると、自分自身をあまり肯定的に見ることのできない人になります。そして、強迫性障害の人は自分を認めてもらえなかった上に、いつでも物事をちゃんとやらなくてはいけない、と言われて育ってきたと思います。
 そのため(たいていの人はいろんな失敗をするものですが)、何事も失敗してはいけない、と鍵や忘れ物などを何度も確認してしまうようになるのだと思います。
 また、あるがままでなく、いい子でいなければ認められないという風に育てられると、自分の存在が希薄で不安定なものになってしまいます。
 そうなったときに、自らの存在を確かなものにするために、「自分」と「他のもの・外の汚いもの」、「自分から見て正しく許されるもの・考え」と「そうでないもの・考え」を厳密に区別するようになる。他のものから切り離した「自分」を作ることが、自分の薄れがちな存在を確かめるための手段になっていきます。
 しかし、この存在感はありのままの自分の肯定から来ていないので、壊れやすいものです。だからもし、「自分」と「他のもの」を分けることによって存在確認を続けようとするなら、それは必然的にエスカレートしていかざるを得ません。
 「自分」と分けられたもの、他人・虫・土などが汚く危険かといえば(排泄物や実際の汚れは別として)、そんなことはない場合が多いでしょう。この汚れが本当のものでなく、自らの考えから生まれていることは、強迫性障害の人も理解していると思います。(ゴキブリだって現代では特別害があるわけではないそうです)
 ですから、それらのものを、「汚い」「嫌だ」「許せない」と「自分」からの見方だけで考えるのは、実際は幼く自己中心的なことではないでしょうか。自分の見方だけがすべてでは、さまざまな物事や他人の存在・気持ちへの理解、共感ができなくなってしまいます。
 これは症状に苦しんでいる人に言いづらいことですが、頭の中が「自分から見てどうだ」ということばかりなのは(自戒の意味も込めてます)、少し考えるべきところではないでしょうか。
 自他を極端に区別して自分にばかりとらわれるのは、子どもっぽい心の表れです。
 この子どもの心が残ったままなのはどうしてかというと、幼少期の問題、子どもらしい心を認められずに育てられたから、ということにやはり行き着くのではないでしょうか。
 この根本にある子どもっぽさが十分満たされて育てられれば、人は自然と成長します。しかし、そうではなく不本意ながらいい子でいなければならなかったりすると、いつまでも聞き分けのない子どもの心を残したままになってしまうでしょう。
 ですから、強迫性障害克服のためにはこの心・存在の満たされない部分をどう回復するか、ということが大事になってきます。
 しかし、このことは簡単ではなく、幼少期を自分の思うようにやり直すわけにはいかないですし(SAT療法というものもありますが)、自らの存在をありのままに受け止めてくれる人が現れるとは限りません。親にいたずらに反抗するのはどうかと思いますが、気持ちをぶつけることもあるいは必要かもしれません。また人との関係や自分の心を見つめることによる気づきも、自らを成長させてくれるでしょう。
 それでも幼少期に形作られた心の在り方を変えるのは難しいことです。しかし、多くの精神疾患の原因はここにあります。
 だから、回復するためにはこのことについて考えるべきだ、ということは心に止めておいた方がいいと思います。

 (次回に続きます)



 (前回からの続き)

 テレビで潔癖症の芸能人が集まり、自分の潔癖ぶりについて語り合うという番組を見たことがあります。
 その中には日常生活に支障がありそうな、強迫性障害の症状ではないか、と思わせる細かいこだわりを持っている人も何人かいました。しかし、その人たちは自らに問題があるとは考えず、強迫性障害の人のように強迫行為を繰り返して悩むということもないようでした。こういった自分の行き過ぎた潔癖症を肯定できる人を、精神医学では強迫性パーソナリティ障害と呼ぶそうです。
 強迫性障害と強迫性パーソナリティ障害は潔癖なこだわりを持つ点では似ています。しかし、パーソナリティ障害は、こだわりによって悩んだり行動できなくなるといったことはありません。そして、本人はそのこだわりを望ましいことと考えるので、精神的には安定していますが、周囲の人が悩まされることがあるということです。
 一方、強迫性障害は、自らの潔癖な行動や確認などの強迫行為を望ましいこととは考えず、それを行うのは嫌だけれどやめられない、といった場合をそう呼ぶそうです。

 前回の記事で、希薄な自分の存在を確認するために行う、「自分」と「他のもの」を分ける行いが、強迫行為につながるということを書きました。
 この自他を分ける行いは、自らの意識をいたずらに大きくさせるのみで、存在を安定させることはできません。そうすると、自らを安定させるために、さらに物事を厳密に分けるようになって強迫行為が生まれます。そして、これがさらなる不安定を招いて悪循環になり、強迫行為がエスカレートしていきます。
 症状がひどくなると当然、強迫行為をやめたくなりますが、それをやめてしまうと今度は心の奥で、自分の存在を失ってしまうことに対する恐怖が生まれます。この恐怖は潜在意識のなかにあって表面的な意識より強いものですから、強迫行為をやめることは難しくなるのだと思います。

 精神疾患の症状を抑えるために、薬は必要なときもあるかもしれません。私はそれらの薬をあまり信用しないので、薬を飲むだけという強迫性障害の治療は避けるべきだと考えます。
 治療するには、強迫性障害について書かれた多くの本が勧めているように、認知行動療法をメインにした方がやはり良いと思います。自分の心のあり方を見つめることや、苦手な状況や強迫行為行わないことに少しずつ慣れていく曝露療法などの認知行動療法によって、症状はかなりコントロールできるようになると言われています。
 ですから、これは今現在の強迫性障害の治療法としては最適なものだと思われますが、この治療でも完全に強迫行為をなくすことは難しいようです。また認知行動療法を行っても症状が改善しないこともあるかもしれません。
 こういう場合、別の角度からのアプローチとして、強迫行為を気の済むまで行ってみるのもよいのでは、と私は思います。
 症状に悩む人は、強迫行為が起きると「またか」と、うんざりすると思いますが、さまざまな強迫行為は自分の心の奥にある何かが望んでいることでもあります。
 人は心と体があるから生きているわけですが、私たちはせわしない日常の中で、その心身の発する声に気づかないことが多くなっています。
 ましてや、心の欲することが強迫行為だったら、まじめな性格が多いといわれる強迫性障害の人は、それを無駄で自らに必要ないものと考えるでしょう。
 認知行動療法ではその欲求をなるべく無視することで治療します。しかし、心の奥にあるものにとことん付き合って、心が強迫行為を行うこと自体に飽きさせるようにするのも一つの方法ではないでしょうか。
 私も確認したくなる癖があると前回の記事で書きました。でもそれがエスカレートしないのは、心身が欲することを無駄なおかしいこととは思わず、気のすむまで行うからではないかと考えています。いろいろと気のすむまで確認しますし、内と外で着るものを分ける潔癖な行動を制限しないようにしています。
 潔癖なこだわりを我慢するのは、無理なダイエットがリバウンドという結果に終わるのと同じように、問題をさらにややこしくしてしまうことにつながるのではないでしょうか。そして、冒頭に書いた潔癖症の芸能人も、自らの気持ちを抑えず肯定しているから、潔癖さが強迫行為になりにくいのかもしれません。
 強迫行為を「やってはいけない悪いこと」と考え、それを止めようとして葛藤、失望することは多いと思います。しかし、心は葛藤や悩みを持つとどうしても良くない方向へ行ってしまいがちです。
 ですから、初めからやめようと考えず、気持ちが納得するまで行ったほうが問題が大きくなりにくく、症状もコントロールしやすくなると私は思います。

 強迫性障害は希薄な存在感や、自他を厳密に分ける幼い心から来ていると私は考えていますが、その希薄な存在を満たしたり、幼い心が成長していくためには、心のまさに子どもっぽい欲求を認めることも大切なのかもしれません。
 自分に肯定感を持ちづらい人にとって、強迫行為を否定しないことは、自分自身を大事にすることにつながるはずです。
 強迫行為を起こす心の中の子どもっぽい部分も、私たち自身の一部です。そして、世の中に私たちの心身より大切な物事はそれほどないと思います。時間の無駄と思わず、自らの欲求に一度とことん付きあってみてはどうでしょうか。
 また、一度強迫行為を徹底的に気のすむまでやろうとすれば、心はあまのじゃくなところがあるから、かえってやりたくなくなるということも起きるかもしれません。

 私は強迫性障害の専門家ではありません。
 ですから、今回言ったことは参考にしてもらいたい一つの考え方としてとらえてください。症状の重い方や、読んで違和感を持った方には適さないと思います。
 でも、症状が初期の場合や、病院で治療を受けてもなかなか良くならないとき、またこの考えに納得した方には効果があるかもしれません。慎重さが必要だと思いますが、良かったらお試しください。

 (次回に続きます)



 (前回からの続き)

 前回は、強迫性障害の症状を軽減するために、強迫行為を否定せずに気のすむまでやってみることについて書きました。
 今回の記事では、症状克服に役立つもう一つの考え方について書いてみたいと思います。

 強迫性障害の治療法としては、薬物療法以外だと認知行動療法が行われると思います。
 この療法で主に行われるのは曝露反応妨害です。これは苦痛に思えることをあえてしてみて、それを気にかけずやり過ごし慣れていくというものです。この曝露反応妨害は、実際に効果があるみたいなので、強迫性障害の治療としては最適なものだと思います。
 一方、症状がそれほど重くなかったり、曝露法で改善しないときは、前回書いたように、強迫行為を気のすむまでやってみることが良い場合もあるかもしれません。

 曝露法は症状をどちらかというと否定する方法、気のすむまで行うのは症状を肯定する方法ですが、これらの方法を行う前に知っておいてもらえれば、より症状改善に役立つと私が思う考え方があります。それは、

「自分を否定も肯定もしないであるがままに見る」

ということです。
 ふつうは誰でも症状に対して「これはダメだ」と否定したり、「これでいい」と肯定したりしますが、それは結局症状にとらわれていることになると思います。しかし、否定も肯定もなくあるがままに自分自身を見られれば、症状にとらわれることが少なくなっていきます。
 強迫性障害では、「汚れがある・火事になったら困る」といった強迫観念がまず起き、それを打ち消すために「手を洗う・ガス栓を確認する」などの強迫行為を繰り返すようになります。
 強迫観念は、はたから見れば不合理な考えで、本人もそれがおかしなものだと分かっていますが、どうしても気になり逃れることができません。
 強迫観念・行為が繰り返されるようになると、それを止めようとしてもうまくいかず、そのことによって葛藤やネガティブな考えが生まれてしまいます。
 しかし、「なぜこんな事をするのだろう」「またダメだ」といった考えは心を不安定にして、症状をさらに悪化させます。
 そこで、「汚れがある・火事になったら」などの強迫観念が起きたとき、そのことにとらわれている自分を感情や考えをまじえず、ありのままに見てみてみるようにします。頭の中が強迫観念でいっぱいの自分であることを知り、それを肯定も否定もしないで見つめると心が静かになり、不安が大きくなることは少なくなります。
 自分をそれ以上のもの「こんな自分であってはいけない」でも、それ以下のもの「こんな自分ではダメだ」とも思わずにいれば、そこに残るのは「強迫観念を抱えて、それに悩んでいる自分がいる」という事実だけです。そのとき事実をただ見つめて逃げなければ、葛藤が生まれることはなくなります。

 これは問題に対して受け身で何もしないことに聞こえるかもしれません。
 しかし、葛藤・不安なく自分自身を見つめていると、私たちがふだん気づかない、心の奥にある知恵のようなものが働き出します。この働きによって強迫観念は、心に根づくことなく消えていきます。そのことが、強迫観念・行為のことでいっぱいだった心に変化をもたらします。そして、これを続けていくと、強迫観念にとらわれることが少なくなっている自分に気づくと思います。

 このことさえ行えば、すべて良くなるとはもちろん言えません。
 自分を見つめるようにしても、今までと同じく強迫行為をくり返し、ネガティブな感情を持ってしまうことはあると思います。したがって、曝露療法などの治療を、これまで通り地道に行うことは必要でしょう。
 しかし、この自分自身をありのままに知ることは、症状改善に役立つ意味のあることですから、強迫行為をやり過ごす、または行うにしても、まず自分を見つめてみてからにするのがいいと私は思います。


 自らの心をそのままに見ることは、強迫性障害に悩む人だけでなく、あらゆる人にとっても大切なことです。
 人は他人を嫉妬したり、自信が持てない、人を憎むなどさまざまな気持ちを持つと思います。
 それは自分の中のネガティブな見たくない部分なので、私たちはそれらの感情・考えを黙って見つめることはありません。その代り自らの感情を否定・改善・無視しようとしたり、開き直って肯定・強調したりします。
 しかし、これらの行いは今回の記事で述べてきたように、自らの感情・考えに対するとらわれになります。
 嫉妬している、自信が持てないなどの自分に対して「ダメだ」とか、「正しい」とか考えると、今度は「ダメだから何とかしなければ。でもどうすればいいか分からない」「正しいはずだが苦しい」などそれについての別の考えが浮かんできます。そうすると心が際限なく葛藤・悩みを生みだし、問題を心に根づかせてしまうようになります。
 これは誰の心にも起きていることだと思います。
 心が陥るこの負の連鎖を避けるためには、自分のそのままの姿を知ることが必要です。
 「私は自信がない・嫉妬している」などといった事実を肯定も否定もせずに見て、そういう自分であるということを知るようにしてみてください。そこには「自信がない(嫉妬している)自分がいる」という事実があるだけで、問題がそこで終わっていることに気づくはずです。というのは、問題は事実を否定・肯定することによって生まれる、際限ない葛藤・考えによってもたらされていたからです。
 自信がないから落ちこんだり、逆に自信をつけようとあれこれせずに、「自分は自信がない」ということを知って事実を受け入れてしまえば、悩むことはなくなります。
 そうすると私たちの心は正しく働き、ネガティブなものは整理されてその力を失うでしょう。そして、それが自信がある・ないといったことを超えた心の安定をもたらします。
 心が正しく働くというのは、私たちの心の奥にある知恵、自然治癒力のようなものが働くということです。これは私たちのふだんの意識を超えたもので、自分について考え・悩むことがなくなったときに働くものです。言葉で説明するのは難しいですが、実際に自分を見つめてみて、このことが起きるのを体験してもらえたらと思います。

 最後のところは強迫性障害から離れてしまった感じもしますが、問題の本質的なところではつながっていると思うのでご容赦ください。
 今回の記事で何度も書いた、「自分をありのままに見る」ということは、私が多くのことを学んだインドの哲人クリシュナムルティの考えから来ています。
 今の世の中では、問題に対して何かをするという考え方があふれていますが、この「何もしないでただ見つめる」ことの大切さは知られていないと思います。
 心をありのままに見つめ、自分の心のあらゆる動き、隠れた欲求、気持ちを知って「自分」という枠を壊していくことは、クリシュナムルティの教えの主要なテーマです。
 今回はそれが、強迫性障害克服のための参考となると考えたので、私なりに要約して記事にしてみました。話がややこしかったかもしれませんが、このことが少しでも症状改善のお役に立てばと思っています。
 


 現在の精神医学で、強迫性障害の原因として考えられているのは脳内のセロトニン不足です。セロトニンは覚醒をもたらす脳内物質で、精神を安定させる働きをします。
 「幸せ物質」とも呼ばれるセロトニンが不足すると気分が落ちこむ(うつ)、不安が強くなる(不安障害・パニック障害)、些細なことが気になる(強迫性障害)、といったことが起こます。
 脳はストレスを感じると、それに対応するためノルアドレナリンという脳内物質を分泌します。ノルアドレナリンが過剰に分泌されると不安・緊張が高まりますが、セロトニンはこの働きを抑える役割をしています。
 しかし、良くない生活習慣や、ストレス・緊張の多い生活によってセロトニンが不足するようになると、ノルアドレナリンが増え、精神を不安定にすると考えられています。
 これらのセロトニン不足からくる症状を取りのぞくために、病院で処方されるのは新型抗うつ薬SSRI です。SSRIは精神科で安易に出される薬ですが、依存性や副作用などさまざまな問題がある薬ですので注意が必要です。(新聞やテレビで取りあげられないこの薬の問題を、専門書やネットで知ると恐ろしくなってしまいます)
 西洋医学の薬は、痛みがあったら鎮痛剤、熱があったら解熱剤というように、症状をただ無くせばいいと考える対症療法です。それが必要な場合もあるでしょうが、対症療法は根本的な治癒をもたらすものではありません。
 SSRIも強迫性障害の原因の一つと考えられるセロトニン不足を解消するためだけのもので、あまり良い薬とは言えませんから、薬を飲むだけという治療は止めた方がいいと思います。
 SSRIを飲んで強迫性障害が本当の意味で治ることはないと思います。しかし、症状を一時的にでも軽くする効果はあるみたいなので、セロトニンの不足が強迫性障害と関係していることは確かです。
 SSRIが脳内のセロトニンを増やす仕組みは不自然なものですが、薬に頼らずにセロトニンを増やす方法はあるので、こちらを生活に取り入れる方がはるかに安全で効果的です。


 セロトニンの研究で有名な有田秀穂東邦大学名誉教授によるとセロトニンを増やすためには、次の3つのことを意識すると良いそうです。

1・日光を浴びる 適度に日光を浴びることは、セロトニンの分泌のために必要不可欠です。セロトニンは日中に良く分泌されるので、夜型より朝早く起きる生活のほうが良く、部屋も太陽光を入れて明るくするようにします。

2・リズム運動 ウォーキング・ジョギング・水泳などの有酸素運動を息が切れない程度に、5~30分、一定のリズムで行うとセロトニンが脳内で増えます。食事やガムをよく噛むことでもリズム運動になっているそうです。

3・ふれあい スキンシップ・マッサージ・人に親切にする・楽しく語らう・ペットをかわいがる、といったことでもセロトニンが活性化するということです。
 
 セロトニンは脳内のセロトニン神経で一定の間隔で分泌されています。この分泌はストレスなどによって左右されないという特徴があるそうです。ですからセロトニンが多く分泌されるようになると、ストレス・不安に強くなり、小さなことにこだわらなくなっていきます。
 また、セロトニンは体内でトリプトファンという物質から作られます。トリプトファンは肉・魚・豆類・卵・チーズ・バナナなどに多く含まれています。
 特にバナナは、セロトニン合成のためにトリプトファンと一緒に摂る必要のある、炭水化物とビタミンB6(玄米・大豆・魚の赤身・レバーなどに含まれる)の3つが含まれる理想的な食品だそうです。
 
夜型の生活をしない、日光を浴びて軽い運動をする、楽しく人とコミュニケーションする、正しい食生活を送るといった、ある意味当り前なことを行えば、セロトニンは増え、気持ちが安定しやすくなります。これは薬でセロトニン神経を不自然にいじるよりはるかに良いことなので、習慣に取りいれるようにするといいと思います。


 手洗いを何度も行うことは、強迫性障害の特徴的な症状です。
 他人や床・地面の汚れ、目に見えないバイ菌、排泄物などを過剰に汚いと思ってしまい、それらに触れると汚れを落とすために、手を繰り返し念入りに洗います。
 その汚れが実際に存在して、体に影響することはまずないでしょう。しかし、心の中の想像によって作られた汚れは、無くすことが難しいので、いつまでも手を洗うようになってしまいます。
 こういったことが起きるのは、「汚れがある・それを避けたい」という強迫観念を作りだす心の問題が大きいのでしょうが、手を洗うという動作にも意味があると私は思っています。というのは、手を洗うことには不安を取り除く効果がある、と言われているからです。
 手は脳と密接な関係を持ち、右手は左脳、左手は右脳とつながっています。念入りに手を洗うことは、脳のバランスを整える行為とも考えられます。
 脳のバランスの悪さ・歪みは、精神的な問題をもたらすと言われていますが、両手を合わせて手をよく洗う動作がこの歪みを整え、気持ちを落ち着かせてくれるのではないでしょうか。
 また手を洗うと、手指の緊張をもみほぐす効果もあります。手のこわばりは脳の緊張ともつながっているので、手洗いでこのこわばりを柔らかくすると、不安の解消につながるとも考えられます。

 しかし、強迫性障害では手洗いが症状として現れると、いつまでも手を洗うようになり、日常生活に支障をきたすまでになってしまいます。だから、「手洗いが不安を取りのぞいて、脳を整えてくれる」というのは、強迫性障害の手洗い症状に悩む人にとって正しいと思えない考え方かもしれません。
 それでも、手洗いをやめることに関しては「強迫性障害について2」で書いたように、手洗いを気のすむまで徹底して行えば、手を洗いたい気持ちはかなり弱まると私は考えています。手を洗うのが止められなくなるのは、脳・体が望む行為である手洗いを無駄なことと考え、「止めよう、止めよう」としてしまうところにも原因があるのではないでしょうか。
 この考えは、強迫行為の本当の苦しさを知らない部外者の空想に聞こえるかもしれません。しかし、手をこすり合わせることの効果を私自身が実感したことがあるので、今回どうしても手洗いについて取りあげてみたかったのです。

 以前、このブログでパニック障害について、薬を使わないで治す方法や自身の症状克服の経験を書きました。
 薬を使わない治療法について調べていくうちに、精神疾患に対するセロトニン効果の研究を行っている東邦大学名誉教授の有田秀穂先生の著書などを読むようになりました。その中で、うつやパニック障害、強迫性障害などの精神疾患が、セロトニンという脳内物質の不足と関係すると言われていることを初めて知りました。
 有田先生によると、セロトニンを増やすには「日光を浴びる」、「リズム運動を行う」、「ふれあい」という3つの方法が効果的ということです。
 そんなセロトニンの大切さを知ったある時、ふと、「リズム運動と、手をこすり合わせて脳を整えるという考えを一緒にしてみたらどうだろう」ということが頭をよぎったので、リズムを意識しながら手をこすり合わせてみることにしました。
 これは理屈としては気持ちを落ちつかせることと、脳を整えることを同時に行っているということになります。
 実際にこれを行ってみると、気持ちが落ちつくのが感じられました。そして、自分では克服したと思っていたけれど、その頃まだ少し心の底に残っていたパニック発作への不安がなくなったので、その効果に驚きました。
 そんな私の経験から、この方法は強迫性障害の人の不安な気持ちを落ちつかせることにも役立つはず、と思っています。
 私は今も一日一回行っています。これは簡単な短い時間でできる動作なので、一度試して頂きたい方法です。 

 やり方は、手洗いやハンドクリームをつけるときのように手をこすり合わせます。両手のひらをこすったり、手のひらで甲をさすったり、甲と甲をこすり合わせてたりと決まりなく、気の向くままに行って下さい。決まった動きはなく、手が望むように動かすのがポイントで、これが脳を整えるのに役立ちます。
 そしてこの時に、こすり合わせる速度を、遅くても早くてもいいので、自分の行いたい速さで一定にしてください。一定のリズムで動かすことでセロトニン効果が得られます。
 これを少しの間、一定の速度を保つのが面倒になって、「もういいか」と思うまで行います。私はだいたい30秒から1分くらい行っていますが、もっと長い時間やりたい場合は気のすむまで行ってみてください。
 ただ、注意してほしいのは、頑張ってやらないということです。手を一定の速度でこすって、手の動きが止まったり、動かすのが面倒になったらそこで終わってください。やりたくなくなっても頑張って続けると、毎日やれないですし、脳を緊張させてしまうので逆効果になります。
 また、お手玉をするとセロトニンを増やし、不安の軽減や不眠の解消に効果がある、というのを最近テレビで見ました。このお手玉によるセロトニン効果は、今回紹介した方法と同じことだと思います。
 私は自分の紹介した方法が効果的で、時間も短くすむと思っているのでこちらを勧めます。しかし、お手玉も具体的な分かりやすい方法なので、お手玉のほうがピンと来たという人は、そちらのほうが良いかもしれません。


 手をよく洗って脳のバランスを整えたい、という無意識の欲求が、「バイ菌がある・汚れを避けたい」などの強迫観念を作りだして、強迫性障害のしつこい手洗いを行わせている可能性もあります。
 合掌やお祈りで両手を合わせるのも、脳のバランスを整えて心を鎮めるためとも考えられます。両手を合わせるということには、私たちが思っている以上の意味があるのかもしれません。
 疑似手洗いとも言える今回の「手のリズムこすり合わせ」は、脳のバランスを整え、手洗い症状の改善や不安の軽減、また脳の活性化にも効果が期待できるものなので、ぜひ一度お試しください。 


プロフィール

Author:まやと
努力なしで最大限の成果を得られる健康法を日々探求しています。趣味 野菜料理を作る 音楽を聴く

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