(今回はいつもと趣向を変えた夏の終わりの番外編です)


 夏になり蝉の鳴く声を聞くたびに思いだす、忘れられない体験が私にはあります。

 あれは私が気功を熱心にやっていた3年前の事です。
 当時はタントウコウという、ずっと立ったままでいる功法が気に入っていました。
 その年の夏はとても暑かったので、家から遠くない山へ一人行き、涼みながら1時間ほど自然の中で立つという事を行っていました。
 家から近い山の中といっても、じっと一人で立っているので、見られて変に怪しまれないように、人がほとんど来ないような場所を見つけては立っていました。

 林の中で蝉の鳴き声や川のせせらぎに耳を傾け、心静かに周りの風景と一体化して気を感じ、たまに現れるアブに逃げまわる事もありましたが、タントウコウは日常の生活から離れさせてくれるとても楽しいものでした。


 本場の中国では気功の流派は何千とあるみたいで、医療に使うものから健康法、瞑想や呼吸を主体にしたもの、呪術・心霊的なものまで幅広く色々な考え、やり方があります。
 書店で気功関係の棚を見ると様々な種類の本がありますが、健康のことを考えた真面目な本の他に、悪い気や霊を祓わないといけない、といった怪しげな本も多くあります。
 私は人をだまそうとするかんじのそういった本は全く読む気が起きません。また、心霊体験とかしたことはないので、私の行く山のあたりに古いお城の跡があったり、その近くの湖が怖いなんていう話を聞いても特に何も感じず、一人でその山の中にいても全然平気でした。

 ただ私の行うタントウコウは完全に自己流でした。そして、私は気功を行う時の注意事項もよく知りません。気功の最後に必ず行う気を体に収める、収功といった動作もやりませんので、本当はあまり良くないものだったかもしれません。
 そして、誰ひとり来ない山の中で半覚醒のような状態のまま1時間近く立ち続けるのは、完全に精神的に無防備であり、あまり良くないものを招きやすいという事もあったのかもしれません。


 その日も人目につかない場所で長いこと立っていました。そして、タントウコウを終えた後、あたりを少し散策しようと林の中から道路に戻ろうとした時に、人の歩く姿が見えました。
 その道路は遠くの集落に行く車がたまに通るくらいでほとんど人通りがないところですが、見た感じ60才くらいのその男性は、リュックを背負いハイキングの服装をして歩いていました。歩き方もなにか特徴的で、気配を消してスーっと足音もなく進むといった歩き方でした。
 「こんな所を歩いている人がいるなんて珍しいな」と思いましたが、私が道路についた時には姿は見えなくなっていたのであまり気にも止めず、その人が歩いて行った方向と逆のほうへ行き、山の風景を眺めながら散歩をしました。

 かれこれ1時間ほど歩いて、そろそろ帰ろうと車に向かう途中、さきほどの男の人を見かけた所からほど遠くない場所に、山を登っていくコンクリートの細い道があるのに気づきました。
「ここにこんな道があったかな」と思った私は、今考えても理由がはっきり分からないのですが、吸い込まれるようにその道を登り始めました。

 その道はどうやら林業の人たちが使うもののようで、道の両側はずっと藪のようになっていてかなり急でした。今は使っていないらしく、大きい木の枝などが落ちて荒れた感じがしました。 
 その道を息を切らしながら5分ほど登っていくと、それまでの藪が急に開けて、道の右側に林業の人が資材を置いておくための空き地のような場所があるのが見えました。
 空き地は何年も使ってない様子で、私の胸のあたりまである草が生い繁っています。
 
 その空き地を通りすぎようとした時、私からそれほど遠くない、5mくらい離れた視界の隅に何かの気配を感じました。
 ハッと驚き目をやると、草の高さ半分位のところにさっきの男性の顔が突然現れ、せつなそうな消え入るような表情でこちらを見つめているではありませんか!
 あまりに唐突で思いがけない出来事に、その瞬間、男性の顔がこっちに向かって飛びだしてきたかのように見えました! 私は何も言葉も発せられず、血の気が引き、全身が総毛立つのを感じました―――。



「おなかが痛くて。」その男の人は言いました。
 そのおじさん、なんと野グ○をしていたんです。
 私は間の悪い会釈をしてサッと振り返り、坂道をもと来た方へ急いで下りました・・・・


 このおバカなオチの話は実話です。怖い話を期待して読んだ人スミマセン。
 こんなあってほしくない偶然の出来事が起きることありますよね。
 例えば、その人だけは会いたくないって人に最悪のタイミングで会ってしまうみたいな。
 それが人気のない山の中の、さらに誰も行かない様な場所で起きたという話です。私もビックリしたけど「真夏の恐怖!」だったのはおじさんの方だったはずです。
 まさか誰も来ないだろうという場所で用を足していて(用をたすといっても5分くらいのことだろうからすごい偶然のはちあわせです)、誰かが来るという恐怖はかなりのものだったはずです。私が現れた時にはまさにチビる思いだったでしょう。
 まあ、おじさんはチビっても大丈夫な体勢なんですが。

 (前回からの続き)

 今年ナスやキュウリが不作だったウチの畑で一番よく取れるのはゴーヤです。
 ゴーヤは一本株が育てばまあまあ取れるのですが、ウチでは3本立派に育って次から次へとゴーヤが取れるので、冷蔵庫の野菜室はゴーヤで溢れかえっています。
 ゴーヤはビタミンや食物繊維が豊富で、熱を加えても壊れないビタミンCがトマトの約5倍もあります。
 そして、糖尿病やガンの予防に効果的でもあり、モロヘイヤと並ぶ栄養価の高い夏野菜ですが、とにかくにがいのであまりたくさん食べらるものではないです。しかし、体はよくできたもので、捨てるのはもったいないと食べているうちに慣れてきて(マヒしてきて?)今では生のゴーヤをそのまま食べても平気になりました。

 この頃は、私の住む地域でよくとれるスモモやモモなどの果物とゴーヤ一本、豆乳とハチミツ少々加えて毎日スムージーにして飲んでいます。これを飲めばゴーヤが一本使えますし、生のゴーヤと果物のエネルギーが体に取り込まれるのが分かる飲み物です。ハチミツやきび砂糖など甘みをほんの少し加えれば、苦みはそれほど感じません。
 またつい最近ですが、親が間違って大量に買ったトマトジュースを、私は嫌いのでどうしようと思っていたんですが、ゴーヤとミキサーで混ぜて飲んでみたら、これがとてもマズいんですが、なんというか後をひくマズさでまた飲みたくなり、もしかして、これはウマいかもしれない、ハマるかもと思っています。

 ゴーヤは炒めてもけっこうな量食べれますが、家族がそんなに食べないので頻繁には作りません。でも塩コンブで味をつけたり、カレー粉、ニンニクなどと一緒に炒めるとおいしいです。

 でも、こんなかんじで食べてそれでもゴーヤが減らない時は、ザクザク薄切りにして日にあてて干してしまいます。そうすると大量のゴーヤもすぐに縮んで少しの量になってしまいます。これは秋以降、水に戻して、煮たり、炒めたりすると夏をなつかしむ一皿になります。

 干すほかにはキュウリのキューちゃん漬けと同じ作り方をしてゴーちゃん漬け(?)にするとかなりおいしくて冷凍保存も出来るので便利です。
 これの作り方は、種とワタをとって5ミリ幅に薄切りしたゴーヤ1キロを少しやわらかくなるまでゆで、お湯を切っておきます。(キュウリの場合はゆでないで1センチ幅の薄切り)、酢160cc、しょうゆ200cc、きび砂糖120gを鍋で煮とかし沸騰させ、ボウルに入れたゴーヤ(キュウリ)にそれをかけます。かけて少ししたら味が均一につくように上下を入れかえるように混ぜます。
 漬け汁が冷めたら、ザルに上げて汁とゴーヤを分け、汁を再び熱し沸騰させゴーヤにかけます。これを3回繰り返します。ゴーヤにはニンジンの千切り、キュウリにはショウガの千切りを入れます。
 こうするとゴーヤの苦みも少なくなって、ゴーヤ好きでない人にも食べやすいおかずになります。

 ゴーヤの苦みが平気になっている私ですが、ゴーヤのぬか漬けだけはものすごく苦く感じます。
 これは見た目もなかなかで、緑色があせて灰色がかり「恐竜の皮」と私は呼んでいますが、暑い夏の強烈な一品になります。野菜はぬか漬けにすると栄養が増すそうですが、これには何か未知の栄養素が加わっているように見えます。どれくらい苦いか確認するようにパクパク食べてしまいますが、食べすぎると胃が焼けます。

 最後にゴーヤの変わった調理法の話をしてみます。
 これは親戚にたまにもらうものなので詳しい作り方は分からないのですが、なにやらゴーヤをゆでてからしょうゆなどの漬け汁につけて、それを日にあてて干したものだそうで、食べてみると歯ごたえも味もほんのり苦い貝の干物のようになっています。ちょっと固めですが、噛むほどに味がでて、これは夏の超珍味と言えると思います。興味を持った人はネットで作り方を調べてみて下さい。

 以上、2回にわたって、いかに取れすぎた夏野菜をやっつけるかみたいなかんじにも読めたかもしれないですが、そうではなく、日々の健康を支えてくれる野菜への感謝とおいしく頂こうとする心、もったいない精神で書いたと私自身は思っています。

 夏というと何をイメージするかといえば暑い、海や山のアウトドア、生ビール、夏バテ、花火、セミの声と色々あると思いますが、料理好きな私はまず夏野菜を思い浮かべます。
 ナス、キュウリ、トウモロコシ、モロヘイヤ、枝豆などたくさん種類のある夏野菜をいろいろ料理して食べるのは夏の大きな楽しみです。
 そして、夏野菜は体を冷やす作用があったり、暑い夏を乗りきり、体のメンテナンスをしてくれるための栄養をいっぱい含んでいるので、やはり食べると元気になります。

 私の家では親が家庭菜園をやっているので、毎年無農薬の夏野菜を食べられます。しかし、今年はなぜか分かりませんか、作った野菜の種類が少なく、オクラやズッキーニ、ししとうなんかが取れないのは残念でした。また、ナスやキュウリもいつもの年と比べると、あまりよく取れなかったです。
 これは年ごとにそれぞれ当たりはずれがあるので仕方ないんですが、もう少し平均的に取れればいいのにと思います。
 そして、逆に豊作の野菜は山のように取れるので、それを食べるのが大変なんです。貧乏性なのでダメにしてしまうのは嫌だし、大量に取れた野菜を見るとまさに追いたてられる気持ちです。ですが、それをなんとかするのが面白いと工夫もします。

 むかし、深沢七郎のエッセイを読んでいたら、夏はナスをあらゆる方法で食べ尽くすという事が書いてありましたが、ナスは本当によく取れる野菜です。
 ナスはよくナス焼きで皮を焦がしてからむいて食べるといいますが、ウチではそれは面倒なので、1cm幅くらいに切って油で炒め醤油をかけて食べます。これだとナスを5本以上使ってもあっという間になくなります。刻みネギやおろしショウガをのせたり、油をオリーブオイル、ごま油、バター、マヨネーズにしてみたり、にんにくで油に香りづけしてみたりとバリエーションを変えたりもします。
 この食べ方ばかりだと油っぽいので、ナスを蒸して食べたりもします。これは食感がトロトロになっておいしいです。からし醤油や酢じょうゆで食べるとたくさん食べられます。
 ほかに揚げたり、煮たり、塩もみして生で食べるのもいいですが、私はピーマンと味噌炒めにするのも好きです。炒めた後に味噌を水やみりんで溶いたものを加えるだけなので簡単です。作るたびに玉ねぎやニンジン、海苔やニラ、青じそ、ネギ、すりゴマ、キノコ、ごま油などを足して味を少しずつ変えると飽きずにおいしく食べられます。
 カレーや味噌汁に入れたり、麻婆茄子やそのほかにもナスは色々と使える夏野菜の主役だと思います。

 ナスに比べるとキュウリやトマト(プチトマト)は調理のしようが少ないのでたくさん取れるとけっこう困りますが、キュウリはモロキュー、酢の物、サラダやキューちゃん漬け。トマトはそのまま食べるほかに、オリーブ油とニンニクでトマトソースにしたり、ケチャップにするとたくさん使えます。
 またキュウリはぬか漬けにすると夏はよく漬いて美味ですが、プチトマトもぬか漬けにすると微妙に甘くなってブドウのような味になり私は好きです。

 (次回に続きます)

 (前回からの続き)

 大きなパニック発作を起こして家から出られなくなりましたが、1ヶ月2ヶ月とたつ間に自発動、家事や字を読むのもダメだったので本を読むなどのリハビリ、行動範囲を暴露療法的に広げるなど、少しずつ出来る事を増やしていきました。(この間、前に書いた頻尿や発疹の症状も治まってなくて、パニックのことも含め体がボロボロだったと思います)
 それでも、この頃には最悪の状態を脱して自発動を長時間やる必要もなくなったように感じ(さすがに飽きます)、リハビリとして家庭菜園で野菜を作ったり、採れた野菜で料理をするようになりました。菜食なので野菜料理しか作りませんが、料理はいまでもよく作ります。
 暴露療法では行動範囲を広げるために車で(田舎は車なしでは生活が難しい)毎日行ける時間、距離を長くしていき、自信をつけるようにしました。
家から1時間、2時間という風に乗れるようになり、最後は高速道路で2時間の所まで行けるようになった時に、これ以上はいいかと行動範囲を広げるのは終わりにしました。 
 日常生活のリハビリや行動範囲を広げるのは、毎日これ以上行ったらマズいかなという所までやり、それを少しずつ無理しないで広げていくようにしました。絶対に再び発作を経験したくないというのもあって、無理に発作を起こす状況に入ることはしませんでした。あと前もって自分のイメージでやれそう、と思えるものしかやらないというのもありました。
 それでも一度、発作を起こしてとても怖かったことがあって、かなり良くなった後々の出来事ですが、ひとりで山登りに行き、3時間ほどかけて山頂に着いた時に、「あっ!3時間も登ってしまったのだから同じ距離をまた降りなきゃならない!大丈夫だろうか!?」という考えが浮かぶと、その瞬間たちまち恐怖が襲ってきました。
 登ってくる間は何でもなかったのに、その言葉を思い浮かべたことで発作が起きるのだから、言葉が原因という面もあると今なら冷静に他人事のように考えられますが、その時はだれ1人いない山頂で(もう発作は起きないだろうというのと人に会うのがおっくうな気持ちがあってそういう山を選んでいた)、冷や汗と、全身の脱力、しびれでとにかく怖くて、俺もここで終わりかな、と思ってしまいました。
 携帯電話も持ってないし、どうしようと途方にくれましたが、結局は少し時間が経つとパニック障害の定説通り症状は治まって、いろいろ考えずにひたすら歩き続けて何とか帰れることが出来ました。

 私の症状は大きな発作の後、家から全く出られないところまで一気にいってしまいました。家から出て遠くに行けるようになっても、いろいろやりたくなくゴロゴロばかりしていた事もあったのでうつのような症状もあったと思います。
 何もできない状況の中から自発動、日常生活のリハビリ、暴露療法とすぐに成果はでませんでしたが少しずつやっていきました。それでも小さなものでしたが、目に見える成果は常にあったので続けられたと思います。とにかく、やらなければ何も始まらないのでやれる事をやるしかなかったです。
 だから、やる気はとても大事だと思っています。しかし、やりたくないのに無理にやろうとするのは絶対に逆効果ですのでここは注意してほしい所です。やりたくないという時は何もせずにいて、やる気が起こるのを待ったほうがいいと思います。
 また、病気を治したいということでなく、何か自分のやりたい事をしようという意欲は恐怖を抑え、忘れさせてくれるので、したいことをやるのもいい克服法になりえます。
 自発動と暴露療法のほかによくやった事は日中歩いた事でしょうか。
 有田秀穂先生の本はパニック障害克服を始めて少したった頃に、呼吸法についてのものを読んだのですが、その中のちょっとした事について私と考えが違うと思ってしまい、そのためほかのセロトニン活性についての本をずっと読まないでいたのは大きなマイナスでした。しかし、体は正しい方法を知っていたからか、日中よく歩いてセロトニン効果を得るようにさせていたのだと思います。
 そのほかのものとして、乳酸はパニック発作の原因の一つとなるものですが、その乳酸のかたまりである筋肉のコリをほぐしたのも、そうと知らずにやった事でしたが効果があったと思います。
 あと、西原克成先生の本に感銘を受けて鼻呼吸を行って、冷たいものを控えるようにしましたが、腸やのどから入る体の常在菌が精神疾患の原因となるという説を西原先生が述べているのを後に知って、それらも何か効果があったのかもしれないと考えました。
 そして、もちろん添加物、加工食品の少ないよい食事と規則正しい生活を行うのも良かったと思います。

 私は学生の頃から心の面でも体の面でも生きづらさを感じていて、このつらさの原因はなんだろう、これを克服する方法はないだろうかといろいろ試し、自発動などを行っていました。
 そんなうつうつとした生活をしているうちにパニック障害になったのですが、この何もできなくなった状況から日常生活が普通に行えるようになり、さらに様々なことができるようになるまでにはかなりの時間を要しました。
 この間、たくさんの本を読んで知った知識と健康法、私自身で考え工夫したやり方を試してパニック障害を克服していき、またそれらを行うことで自らの生きづらさの解消も多少はできたと思います。
 ある意味パニック障害の克服と自分自身を理解することとは重なっていたのかもしれません。時間を湯水のように使い、周りから何をやっているんだと目で見られましたが・・・。
 それでも自分なりに身体や心への理解を深めることができ、健康や生きる目的などに関して、私が一生探求し続けたいと思う数多くのテーマになるものを発見しました。
 そして、それらの試したものの中でで多くの人に役立ち、効果的ではないかと私が思った方法を知ってもらいたいとこのブログを始めました。たくさんの健康法を紹介していますが、興味を持たれたものがありましたらお試しください。
 最悪の状態を自力で何とかしてきて、少しでも頑張ってやるとすぐに具合が悪くなる私が行ってきた健康法ですから、効果はあったものですし、楽に続けられるものばかりだと思います。(効果のあるなしは私にとって死活問題だったので敏感です。自発動を行うと体がいろいろ反応するようになって、さまざまな健康法が自分に合っているか、効果的かすぐに分かるようになります。といっても、誰にでも効果があるとまでは言えませんが)無努力健康法という名前はこういったことから付けられています。

 私がパニック障害になって病院に行かなかったのが正しかったかどうかは分かりません。行っていればもっと早く治っていたかもしれませんが、本当の意味で治そうとせず、どんな病気にも症状を抑える薬を出しておけばそれで事足りるという現代医学に、もちろんそれで救われる人もいるのは知っていますが、どうしても自分の体を預けることはできませんでした。
 私のように医学にマイナスの感情を持っていれば薬の副作用がでた、医者が信用できないという事をすぐに言うのは目に見えているので(そういう想いはその通りの現実を引き寄せます)、病院に行かないで自分の嫌っている事と関係を持たなかったのは私的には正しかったのでしょう。結果として薬の事で悩む経験はしませんでしたし、自発動を行うことなどによって少しずつ良くなっていっている実感はいつもあったので、よくなるかという事への不安もありませんでした。
 時間は結構かかりましたが(このパニック障害の記事を書くにあたって自発動以外の効果的なことをいろいろ知り、これらも早くから意識していればよかったなとは思います)病院に行かずに回復して、いろいろ普通では知りえない事柄も知ることも出来たので、一応やれることは最善を尽くしたと納得はしています。

 私はあっという間に何もできない所までなってしまいましたが、治療や様々なことをやっても回復せずに悪くなり、私の家から出られなかった頃のような状態になっている方もいるかもしれません。そんな方達に少しでも参考になればと思い、私の経験について紹介させてもらいました。

 (前回からの続き)

 パニック発作を起こすまでにも自発動は好きで毎日やっていましたが、パニック障害を治そうと思ったこの時ほど長時間(1日4時間くらいはやったと思う)行った事はありませんでした。
 そうやって1週間ほど過ぎた頃、家の庭にサンダルで出ていました。家から離れて歩けば絶対発作が起きると思ってたので、外を歩くなんて考えもしなかったのですが、その日はとても体が軽く感じました。すると不思議な事に足が勝手に動きだし、家から離れて歩き始めるではないですか。足が先導してスタスタ歩くので怖くなる事もなく、15分くらい家の近くを歩きまわることが出来たのです。
 その時、近所のお店のガラスに自分の歩いている姿が映っているのを見て「わー、外を歩いている!」と小さな事でしたがとても嬉しくなりました。 
 次の日は少し怖かったけどコンビニに行き、写真週刊誌を買いました。それを部屋でベッドの上に座って見るんですが、まだ字を読むと気持ちが悪くなります。1ページ1ページ見ていくとだんだん頭がグラグラしてくるので、これ以上見るとマズイという所で止めて、目をつぶって寝ころびます。そして、少し回復したらまた見ていくというようにして少しずつリハビリしました。週刊誌の写真を見るだけで具合が悪くなるのも心もとない話だけど、ちょっとでも出来ることが増えればという思いでした。

 自発動の動きは手指、首、立って歩くような動作などをよくやったのを覚えています。
 私の調子の悪くなるパターンは主に、頭がひきつれる感じになって、脳の血管が切れるのではないかという恐れや実際に頭がひきつれて、その場にいたたまれなくなったり、何か物事をやるにもうまく出来ないのではないか、気持ちが悪くなるのではないか、といった予期不安が起きるものでした。
 頭がひきつれたり、舌が変な感じになったりするのは頭部・首の歪みが原因にあると思います。
 パニック発作の主な症状として呼吸が苦しくなる、動悸、吐き気、嘔吐などがありますが、こういった事は背骨上部、胸椎の歪みが関係していると考えられます。
 自発動は体の特に、背骨の歪みをとる最善の方法だと私は思ってます。本能が自らの体を正確に正していく動きを見ると、その一切の無駄のなさに感動します。私にできる事はそのための時間を持つだけで、あとは無努力で体にまかせるのみです。
 自発動を否定的に見る人もいますが、以前の自発動の記事に書いたように民間療法で長く行われていたり、私たちの日常の寝相や貧乏ゆすりなどの動きは自発動と同じ原理で起きているものですし、私の経験からも自発動は無理に、頑張ってやるような事をしなければ安全だと思います。しんどくなったり、少しでも調子がおかしく感じならすぐにやめればいいということです。
 パニック障害の人が自発動を試す場合の注意点は、自分のコントロールなしに勝手に体が動くのを怖がらないように事前に自発動についてよく理解しておくのと、体が止まらないくらい大きく動いたとしても身をまかせておけば自然に動きが終わるという事を知っておく事です。(詳しくはカテゴリーの自発動の所を参照下さい)
 あとは自分の気持ちいいと思える範囲でやります。
 体の歪みは自発動をやってもらうと分かりますが、本当に複雑に成り立っています。これを少しずつほぐしていくのは地道な作業ではあります。
 自発動が良いのは体の歪みを直すことの他に、自分の心身と向き合えるところにあると思います。これは座禅や瞑想にも通じますが、私たちが自分のすべてと思いがちな意識や心といったもの以外の働きがあるのを体を通じて知るという事です。
 現代人は人間が効率と楽しみのために作り上げた社会の物事の中で、絶えず考えをめぐらせて生きています。特にパニック障害になる人はこの考え、意識を一日中休む事なく働かせて自ら不安を増大させている面もあると思います。
 パニック障害を克服するためのコツの1つは、ボーっと何も考えないでいれるようになれるかだと思います。症状がひどくなると、一人でいる事ができなくなると言われますが、人といるとあまりあれこれ考えなくてすみますが、一人でいる時にはついいろいろ考えてしまい怖くなるのでしょうけど、一人でいる時もリラックスというか、少しいいかげんになって、何も深く考えないでいられるようになれたら症状も軽くなると思います。
 自発動を起こすためにはある程度自分の意識を働かせないようにする必要がありますから、この点でもパニック障害への対策になると思います。
 ネットで調べると、自発動を起こさせてパニック障害を治療する整体院なんかが数は少ないけどあるみたいなので、私と同じ考えを持っている人もいるんだなと思いました。
 私は自発動で実際によくなったので、これは現代医学以外の選択肢の1つになりうるものかもしれません。
 私は時間がかかるのが難点と思っていましたが、他の治療法でも良くならならなければいつまでたっても改善しないのですから、ゆっくりでも小さな進歩がある自発動の方が確実なのかもしれません。

 自発動の説明が長引きましたが、そうやって自発動と日常生活のリハビリ、暴露療法的に少しずつ行動範囲を広げようと外出していった結果、一ヶ月ほどたつと車で20分くらいの所までは行けるようになり、日常の動作と簡単な料理、風呂掃除なんかはギリギリOK、テレビも二時間くらい見られるほどになりました。

 (次回に続きます)

 前々回の記事まで「パニック障害 薬に頼らずできること」として13回にわたりパニック障害克服のための方法を書いてきましたが、私が実際にパニック障害になったときに行ったのは、それらのやり方ではありませんでした。
 この私のやり方は頑張ってやる必要はありませんが、時間と根気はいるように思えるので、パニック障害の人すべてに勧められるわけではありません。しかし、家から1歩も出られなっかた程の私の状態を救ってくれたのは確かです。
 これから数回ほど、どのように私がパニック障害を克服したのかについて書いていきますので参考にしてみてください。

 パニック障害発症の原因としては、大きなストレスがまず挙げられると思いますが、私の場合もそうでした。
 長年、やりたくない家の仕事を手伝っていたので、慢性的なストレス状態にあり、精神的にうつな状態で過ごしていたところ、大事にしていた飼い犬が老衰して一晩中セキをしたりするのを面倒見たり、前立腺炎というものになって24時間いつもトイレに行きたくなる頻尿に悩まされたり、虫刺されをほおっておいたら発疹が体中に広がってしまったりと大変なことが重なっていた時期に、それらのストレスに体が耐えられなくなったのでしょう、パニックの発作が起きるようになりました。
 車に乗っている時に、めまいというか頭がグルグルしてはっきりしない感じになり、運転が出来なくなる事が2、3回起きました。変な感じだけどそのうち治るだろうと思っていたある日、通っていた英会話教室でアメリカ人の先生と話していたら突然、それまでで一番ヒドいものが起きました。(そこには10年以上通っていて、今までそんなことの兆候は一度もなかったのですが。上達しない英会話を続けるのも頭にはストレスだったのかもしれません)
 頭は変な状態になるし、冷や汗が出てきて、その場に居続けたら頭がおかしくなってしまう気がして、詳しい説明もせずに家に飛び帰りました。
 家族に当分仕事を休むといってベッドにもぐり込み、とにかく寝ていればよくなるだろうと考えたのですが、とても不安でした。
 医者に行かないという記事の題名になってますが、このときは行けないというのが正確で、家から出れば絶対にあれに再び襲われるのは分かりきった事に思えたので、とにかく寝ていました。
 パニック障害についての本などではパニック発作は30分もたつと過ぎ去り、元の状態に戻るとありますが、私の場合、発作の衝撃は大きく日常生活もままならないかんじに一気になってしまいました。
 まずテレビが見られないし、ご飯を食べる、風呂に入るなどの普通の動きをするのも不安で、何とか発作が起きないように(何かストレスがかかる事があるとてきめんに具合が悪くなります)必死の思いで行いました。
 本当はパニック発作に似たほかの病気(バセドウ病や高血圧、心臓疾患、メニエル病など)もあるそうですから自己診断は禁物で、一度は病院に行ったほうが良かったかもしれないですが、脳の血管が切れたわけではなさそうでしたし、家から出られないのでとにかく寝ていました。(新聞などでパニック障害の事は知っていて、この症状はそれだろうと分かっていたと思います)
 もし、親に症状を話しても病院へ行けと大騒ぎして、私の症状には悪いことしか起きそうにないので黙っていました。
 それでも3、4日ほどすると、だいぶ落ち着いて、多少良くなったように感じられたので、起きていろいろやろうとしてみましたが、一向に良くはなっておらず、テレビも本もすぐ具合が悪くなって見られない、家から出られもしないという状態は変わらないままのようでした。
 医者に行こうにも行けないし、行ったとしても根本的な解決にならない薬を出されるだけという抜きがたい考えを持っていた私には、医者に行くという考えは全く浮かびませんでした。
 それはなぜかというと、自分の中に自力で治すことが出来るという気持ちがあったからです。
 私にはその頃まで何年も続けていた健康法があり、その効果を信じていたので(パニック障害になるのは防げませんでしたが)、それをやれば必ず良くなると考えていました。
 その健康法とは、このブログで以前に紹介した自発動です。これは心身をリラックスさせて体に意識を向けると自然に体が動きだして、体のコリや歪みを取り除くという気功法の一種で、身体の持つ自然治癒力のあらわれと考えられています。
 自発動をやると体のいろんな所が勝手に動き、歪み(気功の考え方では気の詰まり)を取り除いてくれます。
 心身の不調は、体の歪みが大きな原因という考えをこの頃から持っていたので、これをやっていけばそれまで自分の体で経験したように歪みを直し、このひどい症状もなんとかなると考えました。
(自発動がどういったものかという事や自発動のやり方についてはブログカテゴリーの自発動の所を参照ください)
 なので寝るか、部屋で何もしないで過ごす以外の事が出来ない私は、朝から体力の許す限り自発動を行いました。何か家事でも手伝おうとして、洗濯物たたむのでさえ発作が起きそうになる状態でしたが、自発動を行っている時は具合の悪くなる感じが起きる事はありませんでした。
 朝の光を浴びながら、ベランダでよく動いた手の自発動をやった事は今でも鮮明に覚えています。

(次回へ続きます)

 皆さんは電話で話す時、どちらの耳に当てて話しますか?
 そのいつも当てている耳が、その人にとってよく使う利き耳になります。
 街なかで観察すると割合はだいたい半々くらいのように思えますが、右耳からの情報が送られる左脳は言葉の理解、使用に関係するので、電話は右耳にあてた方がいいそうです。(体の右半分は左脳、左半分は右脳によってコントロールされています)
 だから、右耳から聞いて左脳が働くと、言葉の意味の理解が速くなります。
 左耳を使うと、右脳は情緒や感情に関連した所があるので、冷静に判断できなくなる場合がありますが、右耳で話すと客観的に言葉や内容を受け止められます。
 電話を左耳にあてて話す場合、言葉の情報はいったん右脳に入ってから言語脳である左脳に送られて処理されるので、時間的、エネルギー的なロスがでます。その時間差は100倍以上とも言われています。
 言葉を使うのにこれだけの差があれば影響は大きいと思えるので、話をしたりコミュニケーションが苦手と感じている人、セールスなんかを断ることが出来ないという人で電話を左耳にあてている人は一度右耳で電話するのを試してみてはいかがでしょうか。

 左脳は言語、計算、論理、分析などの働きに大きく関わり、社会的な決まり事や仕事、時間などの外的な事へ注意を向けるようにできています。そして、情報を連続的直列的に処理するのを得意とします。
 右脳は表情や身体の動き、言葉などの中にある感情を感じる直観思考、視覚・音などのイメージ、心身の状態・感情などの内的世界への注意、直観や全体的な思考を行い、情報を同時並列的に処理します。
 右前頭部に腫瘍ができてここを切除すると、ネガティブな感情が起こらず陽気になり、左の前頭部の腫瘍を切除すると悲観的になるという事が見られるそうなので、左脳はポジティブな感情、右脳はネガティブな感情と関係すると考えられます。
 聞きたい言葉は右耳で、聞きたくない事は左耳で聞くという話をネットで見かけましたが、子どもの頃に周囲から小言など楽しくない事ばかり聞かされた人は、言葉を少しでも遅く聞こうと左耳・右脳優位になり、ネガティブな感情をもたらすという悪循環になる事もあるかもしれません。
 そして、楽しいことなら少しでも速く脳に入れたいと思って右耳で聞くようになるでしょう。
 ちなみに、アメリカ人の多くは右耳に受話器をあてるそうです。
 そして、日本人は母音の多い日本語を話すので、音の聞き取りに敏感になり、他の国の人々は右脳で処理する虫の音なども言語脳の左脳で処理しているそうで、その結果、左脳を過剰に使うようになっているとも言われています。
 あまりにも片方の脳の働きが強まりすぎれば、左脳の場合だと、理屈っぽくなったり、口先だけの調子のいい人になる、相手の感情に気づけなくなる、芸術などに興味を持てない、合理性を追求しすぎて損得勘定ばかりの思考になる、後先考えずに行動してしまう事などが起きると考えられます。
 一方、右脳の働きが強まりすぎるとだまさやすい、不合理なものを信じてしまう、感情にふりまわされる、過去にとらわれて考え過ぎてしまう、行動力がなくなる、ネガティブ思考になって疲れやすくなるなどといった事になりやすいと考えられます。
 左右脳の長所、短所はすべて利き耳によってもたらされるものではないでしょうが、影響はありうると思います。なお吃音や学習障害などの人は利き耳が左の場合が多いそうです。
 右脳と左脳の違いはこのように考えられていますが、どちらが一方ばかり強化すればいいというものではなく、脳は左右が協調して働くものだそうなので、バランスが大切ということではないでしょうか。
(でも、日本の社会は極端に左脳優位の人と右脳優位の人に分かれている所があると思います)

 この話を知って、左耳で電話をしていた私は右耳にあてるようにしてみたところ、話をするのがスムースになるのは感じられました。今では意識しなくても右耳にあてるようになっています。
 外国語の学習も左脳を使って行うといわれますが、このことについてとても残念なことをしたと思う経験があります。
 以前、私は10年以上も英会話の教室に通っていたのですが、長年やったわりにはあまり上達しなくて、ずっと自分は才能がないと思っていました。でも思い返してみると、私の教室での定位置はネイティブの先生を左に見る席で、つまり先生の英語をいつも左耳から多く聞いていたことになります。私の席は外の見えるよい席だと思ってましたが、そうではなくて英語の上達の度合いを20%くらい損させる席だったかもしれません。(私は右脳人間なので本当にまったく才能がなかっただけかもしれませんが)
 映画を見る時は、映画館の右側に座れば、左目・左耳からの情報が多く入り、イメージを喚起する右脳が活性化するので面白さが増すとも言われますが、学校での勉強や講演を聴くなどの時は右耳から音を聞ける場所に座ればよいということかもしれません。

電話をするのは右耳がいいというのは、フランスの耳鼻咽喉科医トマティス博士に関する本を読んでいて知りました。
 トマティス博士は聴覚・心理音声学の長年の研究を通じて「聞き取れない音は発音できない」などの法則を発見し、特殊な装置を使って聴覚を新しく蘇らせ、脳のリラクゼーション、語学力の向上などにも効果があるというトマティスメソッドと呼ばれる聴覚トレーニングを開発しました。

その聴覚と心理との関係のスペシャリストであるトマティス博士が、人の耳は右耳が多少優位のほうが言いと主張されているわけですが、聞き耳を右にするための方法としては、電話を右耳でするくらいしか素人には思いつきません。トマティス・メソッドではさまざまな機械によって利き耳を変えたり、聴覚を再生させたりするそうなので、宣伝ではありませんが、興味を持った方はそのセラピーを行うトマティスセンターというところがあるので調べてみてください。
 言葉は左脳で処理されるから電話は右耳に充てればいい、という簡単な事で長い文を書いてしまいましたが、左耳で電話していた人は一度お試しください。

また、右脳人間も左脳人間も、お互い自分の持ってない逆のものにあこがれることもあるかと思います。(こういう右脳・左脳のステレオタイプで区別するのもすこし無理があるかもしれませんが)
 ですので、極端な左脳優位の理屈っぽい、内省的な面がないといった人の場合、電話を左耳にあててみるのもいいかもしれません。

 パニック障害の予期不安の強い時に抗不安薬、とんぷくを飲む人も多いと思います。
 さまざまな身体症状を伴うパニックの発作自体では、死に至ることはないとされているので、発作か起きたとしても、冷静に呼吸法などでやり過ごしてしまえばいいとも言われます。
 この「発作はたいした事ではない」と体と頭に納得させるのは有効ですが、やはり最初に経験するパニック発作が強烈な場合が多く、記憶に刷り込まれ、「あれがまた起きるかも」と考えれば簡単には気持ちを変えられないかもしれません。
 また死への恐怖のほかに気がおかしくなる事への恐れ(これもそうなる人はいないそうです)、さらにおう吐や気をとり乱しているのを周囲の人に見られる事への恐怖など、パニック障害の症状はとても複雑に思えます。
 そして、予期不安が高まりパニックになりそうという時、すぐに効いて不安を取り除いてくれる抗不安薬を飲みます。
 抗不安薬を飲む量がそれほど多くなかったり、飲むことでいろいろ出来るようになって自信がつき、薬に頼らなくても良くなるのが理想的ですが、予期不安はやはり考え方を変えたり、暴露療法的に慣れていくべき事だと思うので、あまり不安を感じないようにと薬にばかり頼ってしまうと、かえって治りを悪くしてしまったり、薬の依存を引き起こす事があるかもしれないので注意が必要です。
 薬になるべく頼りたくないのは多くの方が感じている事でしょう。乗り物やお店、緊張する要件などで不安を感じた時になんとか気持ちを鎮め、やり過ごすための自分なりの方法があったりもすると思います。
 今回はそんな抗不安薬的な働きをする、私が自分なりに考えてみた方法を紹介します。こういった方法は、パニック障害の本にいろいろでていますので、試している人も多いと思います。試してみて、自分に合った効果のあるものを見つけられたら得なので、私のやり方も一度試してみて下さい。

 まず初めに「最悪シュミレーション」という方法を説明します。
 生きるのには、先に何が起きるか心配しないで、悪い事が起きたらその時はその時と思えるのが本当は良いのでしょうが、パニック障害の人はそうもいかないと思います。
 パニック発作が起きると死への恐怖や周りが見えなくなり状況の判断、コントロールがつかなくなると考えるので予期不安が強くなります。どうなるのか分からないという不確かさが、予期不安の根底にある気がします。そして、予期不安が強くなると、どんどん不安が積みかさなり悪循環に陥ってしまいます。
 なので、前もって悪くなった場合にどうなるかシュミレーションしておくと、気持ちが楽になります。
 例えば、もしパニック発作を起こしても死ぬことはなく、いつものようにすこし休めば回復するとか、高速道路で具合が悪くなったら同乗の人に無理をいって帰ってもらおうとか、電車で発作が起きたら駅員に救急車を呼んでもらえばいい、大事な用事の最中でまずくなったら逃げ出してしまえばいいとか、最悪の状況になって何が起きてもどうにか切りぬけられ、こういった流れでなんとかなるという事を事前にシュミレーションしておきます。
 予測がつかないから不安なのであって、最悪な事が起きても多少恥ずかしかったり、メンツを失うかもしれませんが、死ぬことはなく大丈夫だと思えれば安心できます。そうして不安を軽くしてその場へ行ってしまえば、なんとか対処できて最悪までの事にはなる事はほとんどないと思います。
 あと不安を乗り越えてうまくいくというイメージトレーニングをするという方法もありますが、どちらが向いているかはその人次第なので、両方試してより気持ちが楽になる方を選べばいいと思います。

 不安になった時に、心の中で自らに「大丈夫」「何とかなる」とつぶやき、言いきかせている人も多いと思います。
 勇気づけられる自分なりの言葉があったり、心が思い込むまで言い続けるなどいろんな方法が考えられますが、私が一度試してほしいのは「大丈夫」などの言葉を心の中で言う時に、出来るだけ小さい声で言うやり方です。
 何故これに効果があるのかちょっと説明できないのですが、私もまずいなと思う時にやっていたかなり使える方法です。

 次に紹介するのは以前「ドライマウス対策」の記事に書いた「水トローチ」です。
 口がドライマウスなどで唾液がでにくくなった時に、水をほんの一滴口に含み、それを舌先に置いておくと、唾液が出やすくなるという方法ですが、これをやると心が冷静になり、物事を客観的に見れるようにもなってきます。これは仮説ですが自分なりに思うのは、不安な時には「怖い、どうしよう」と心の中で言葉がわきあがり、それを止めることが出来なくなりますが、「水トローチ」で舌先に水をためておくとその内心の言葉が出にくくなり、その結果、言葉によって増幅される面がある恐怖が和らぐと考えられます。
 あと唾液を出やすくすると副交感神経優位になるので、それも役立っていると思われます。

 炭酸ガスはパニック発作を起こすものと言われているので、炭酸飲料はパニック障害の人にとって避けるべきとされています。
 しかし、炭酸飲料水は飲むとリラックス効果があります。私は症状があった頃、飲み物ではカフェインがダメで、コーヒーやお茶を飲むとパニック発作的なものが起きてひっくり返ってしまいましたが、(今飲むとどうなるか分からないけど怖くて口にできません)、炭酸飲料で具合が悪くなった事はなく、むしろ何か緊張することがある時には、ふだん口にしない炭酸飲料を飲んでいました。糖分が気持ちを落ち着かせるのもあるだろうし、その時は知らなかった炭酸のリラックス効果が気持ちを落ち着かせていたと思います。
 ですから、炭酸が大丈夫という人には炭酸飲料、炭酸水を飲むのも不安を軽減してくれるかもしれません。(逆に炭酸はダメでコーヒーで気持ちが落ちつくという人もいると思いますが)

 最後に紹介するのは心身のあまのじゃく的な働きを逆手に取る方法です。
 これは本で読んで面白いと思ったものですが、心も体も一生懸命何かを避けよう、避けようとするとなぜかどうしてもそうなってしまう(例えば眠れない、赤面するなど)ということがあるので、逆に開きなおって眠らないでいよう、顔をわざと赤くしようとすると逆の結果になるそうです。
 だから、発作が起きそうなときに「いつもいつ起きるか分からないお前(発作)に悩まされるのはウンザリだ。今日は受け身でなく俺が自分で発作を起こしてやる」と開きなおればかえって良いなんてこともあるかもしれません。
 私はこうしてみた事はありませんが、眠れない時にベッドの中でこの手を使うと、けっこう知らぬまに眠ってしまいます。
 元プロレスラーのアニマル浜口さんは昔、海で溺れてから水が怖くなり、やがて水の中にいなくても溺れる不安に襲われるようになったのを「気合いだ!」とスクワットを何百回もやることで克服したそうです。
 恐れを知らなそうな浜口さんでもそうなるという事に驚きますが、周りの目を気にせずに大きな声で「気合いだ!」と叫べれば精神的にもスッキリ解放されるだろう(セロトニン効果もありそうです)と思うけど、パニック障害は慎み深い所がある人がなる傾向でしょうから、これは難しいかもしれません。でも、あんな風に我を忘れて大声を出すのも結構いいかもしれません。

 以上、いくつか書いてみましたが、不安を抑えるための方法よかったら試してみてください。
 不安への対処はいろいろ自分なりに工夫し、熱意と関心を持ってやれれば成功しやすく、それが自信となって症状克服へとつながっていくと思います。
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