座禅、瞑想には数多くのやり方がありますが、どのやり方を行うといいか迷ってしまうところがあります。それらはそれぞれの目的や効果があると思いますが、やり方を一つに決めてしまうと心身がそれで固定化して柔軟性を失ってしまうということもあると思います。さらに、方法によって異なることを勧めている場合もあるし、間違ったことを教えられているかもしれません。
 例えば、ある方法の座り方では右足が上にくるが、別のやり方だと左足を上にした方がいいということを教えたりします。この場合どちらが正しいのか、またはどちらでもいいのかはハッキリしません。でも、もしこれに関する正しい答えがあったとしたら、間違った方を教えられていた人はだいぶ損をしてしまうことになります。(私はその時々で楽な組み方をすればいいと思ってます)
 だから、こうしなさいと教えられた方法でも間違っていたり、自分に合ってないことがあるかもしれないから、実際に効果があるか自ら確かめてみる態度が必要でしょう。

 前回の記事で無努力静功という私なりのやり方の説明をしました。それは座禅、瞑想を行う時に要求される姿勢、呼吸などの決まり事なしにただ座り、自らに起きることをそのままにさせることによって心身を整える方法です。
 制約なしに座っていると、体を整えるための動きである自発動などいろいろなことが起きるのですが、何が起きるかは毎日異なります。それは体の歪みが複雑だからということや、人は毎日変化しているので、静功を通して心身が要求することも変わるからだと思います。
 こうやって日々変化しているものに対して姿勢とか呼吸、何らかの方法などの決まったものを押し付けるのは、心を鍛える等の効果はあるのでしょうが、心身を一定の型に固めてしまうように思えます。

 無努力静功中の体の落ち着きのない動きは自発動につながりますが、この時よく動かしたくなるのは手や首です。手いたずらや首を動かすのは、それだけそこに歪みが多くあるということだと思います。 ほかにも口や眼を動かしたくなる時もあります。
 これらの動きは、体の好きなように動くままにさせていると、だんだんその動きが少なくなってきます。動きが減るのはその箇所が整ってきているからだと考えています。
 以前、私は手や口をせわしなく動かしていましたが、今は昔のように動くことはありません。そして、よく動かしていた当時は顎の歪みがひどくて、軽い顎関節症のような症状があったことがありましたが、口の自発動をしているうちによくなりました。


 私は無努力静功をやることが心身を整えるための簡単で良い方法だと思うので、決まり事なく座るのを是非お勧めしたいのですが、ずっとこれをやっているとたまに飽きてくることもあります。
 そこで座っていたい気持ちはあるけど、何もしないでいるのも嫌だなと思った時に、気分転換的に行う方法を少し紹介したいと思います。今まで決まり事がないほうがいいと言ってきたのに、とツッコミを入れられそうですが、これらは努めてやるということでなく、気が向いたら遊び感覚でやってみてくださいという感じのものです。

◇座っている時に、削ってない新しい鉛筆やそれくらいの長さの棒を用意して、その両端を手のひらの真ん中にあてはさんでみます。
 これをやると両手のポジションがいいのか、気が出入りするとされる手のひらの労宮穴を鉛筆でつなぐので気の循環が起きているのか分かりませんが、頭によぎる考えが少なくなったり、自発動が起きやすくなったりします。

◇禅や瞑想でよく行われる呼吸を観察するという方法はたまにやりたくなります。
 呼吸をコントロールするのではなく、自らの自然な呼吸をそのままに観察します。息が左右どちらの鼻の穴をよく通っているかとか、どれくらいの強さで呼吸しているかなど、ふだん意識しない自分の息の仕方を見ていると呼吸が穏やかになり、心が落ち着いてきます。
 人は考え事を始めると呼吸が乱れてくるといわれていますが、呼吸をじっと観察していると滑らかになっていくので、頭の中で余計な考えが浮かばなくなっていくのでしょう。あと、呼吸を数えるという方法も、よく行われるものですが興味深いと思います。

◇ヨガの瞑想の本で、座りながら目を閉じ、まぶたの裏側を見る感じで目に映る暗さを見ると良い、というのを読んだことがありますが、これもかなり面白いです。
 目を閉じればただ暗いだけで何も見えないと考える人が多いでしょうが、よく見てみるとその暗さの中にチラチラするもやのような光があったり、ぼんやりした形が出てきてそれが変化したりとさまざまなものが見えます。こうやって暗さを見ていると日常的な意識から離れていく感じがします。
 それらのものを見続けていると、次第に光が集まって一つに見えてきたりするそうなのですが、私はたまにやるだけなので、そこまでいったことはありません。

◇座りながら周りに聞こえる音をすべて聞く。
 頭の中で考え事をしていると、ふだん気づかない私たちの周りのすべての音を聞くことは出来ません。だから、これをやっていると自然と心が静かになっていきます。
 これは余談ですが、すべての音を聞くのとまぶたの裏を見る方法に慣れると、閉眼片足バランス(目を閉じて片足で立つ)をやる時に、このどちらかを行いながら立ってみると長く立っていられるようになります。

◇座りながら丹田を意識する意守丹田法。
丹田の位置は臍の下3センチ、または10センチのところの奥とか、臍から体の内部へ入ったあたりなどいろいろな説がありますが、その下腹部の辺で一番体に力の湧く感覚の起きるところを意識するのがいいと思います。丹田は古来から重要視されるだけあって、ここを意識していると体に力が入る感じがします。
 丹田の他には会陰(肛門の少し前)なんかも意識すると気が発生する場所とされています。また、足裏の中心のツボ・湧泉や脊椎の真ん中、眉間など、意識すると良いとされるところはいくつかありますが、やり過ぎると気分が悪くなることもあるので注意して行います。

◇最後にちょっと変わったものとして、ティッシュをちぎって軽く丸め、それを耳の穴に詰めて座るという方法があります。
 こうやって静かにしていると、耳の中が動いてティッシュがガサガサと鳴るのに気づきます。これは脳脊髄液の循環を促すための頭蓋骨の動きではないかと私は思っています。(たくさんの骨が組合わさった頭蓋骨は動くようにできている)
 この動きは微妙なので、ふだん私たちは意識してませんが、耳に詰めたティッシュの感触のせいでその小さな動きに気づきやすくなります。
 脳脊髄液は頭蓋骨と背骨の中にあって、脳と脊髄を衝撃から守る役割をしています。そして、頭蓋骨の動きなどによって頭→背骨→仙骨と循環して、脳と脊髄に栄養を運び、老廃物や毒素を取り除く働きもしますが、これはホメオスタシス・体の機能維持に大きく関係しているそうです。この循環がうまく行われないと、体の不調の原因になるとされています。
 脳脊髄液の流れを良くするために頭蓋骨を調整する療法(クレニオセイクラルセラピー)もありますが、呼吸を観察しているとだんだん穏やかに整ってくるように、ティッシュの音で気づく頭蓋骨の動きを観察しているとこの動きが自然に促され、少しずつ頭と背骨の歪みが整っていくのではないかと考えています。
 私の場合、頭蓋骨のバランスが悪いからだろうけど、音が聞こえてくるのはほぼ左耳です。おそらく両耳の中が同じように動くのが理想的なのでしょうが、そうなるためにはこの動きをじっと見て、好きなようにさせるのが必要だと思います。
 耳の中のゴソゴソという音を聞いていると不思議と心が静かになってくるから、この時には頭蓋骨のポンプが滞りなく働いて脳脊髄液が良く流れているのではないかと感じます・・・。
 と、もっともらしい説明をしてきましたが、この最後の話は私の仮説です。でも実際にティッシュの動きを意識すると体が整ったり、余計な考えが起きなくなるのを私は経験するので、興味を持たれた方は一度試してみて下さい。

 今回から数回ほど、心と体を落ち着けて整えるための簡単な方法・無努力静功について書いてみようと思います。

 静功というのは気功の用語で、動かないで静かに座ったり立ったりしながら、体の内側を見つめ、気の流れを感じて体の活力を高める功法のことをこう呼びます。さらに覚醒しながら心身の動きが止まった、とらわれのない状態になることを目指します。
 気功というと。太極拳のようなゆるやかな動きをするものをイメージする方も多いと思います。動きのある方は動功と呼ばれていて、気功の功法は大きく分けるとこの静功と動功の2つになりますが、静功の方がより重要なものと考えられているそうです。
 動かないで心身を静めるのは、座禅や多くの瞑想も同じことを目的としていると思います。座禅は修養的なところ、瞑想は心の動きの面がまず最初に来る印象が私にはあるのですが、今回紹介する無努力静功は、どちらかというと体を整えることから始めるようにしている方法です。私としては座禅、瞑想の持つそういったイメージから区別するために静功という言葉を使いました。
 そして、無努力と謳っていますから、難しく面倒なことはないですし、簡単でありながら奥深いところのある方法です。行っているうちに体が整い、それとともに心も落ち着いてくるのを感じられると思います。
 さらに、これはいつでもできるので、もしその楽しさを知ってもらえれば、人生の退屈な時間というものがなくなるかもしれません。

 本来の気功の静功では立ってやったり、寝転んで行うやり方もあるようですが、ここで紹介する方法は基本的に畳、床に座布団を敷き座って行って下さい。
 座禅、瞑想、静功ではいろいろな決まり事、足の組み方や姿勢、呼吸法、心を集中するなどがあったりしますが、無努力静功ではそれらの決まり事は行わず、ただ音楽、テレビ、携帯電話等がない中でただ座ります。また退屈をまぎらわせるために自分の意志で行う行為、例えば歌を歌ったり、明日の予定を考えるなどをしないようにします。姿勢も好きな体勢でいいです。
 決まり事的なものをいくつか挙げるとすれば、座り方は一番楽なあぐらで全くかまいませんが、もし出来たらヨガで達人座と呼ばれる両足の指を反対の脚の太ももとふくらはぎの間に入れる座り方→座禅の半跏趺坐、片方の足だけを反対の太ももの上に乗せる座り方→結跏趺坐、両足を太ももの上に乗せる座り方、と段階がありますので、自分が無理なく行えるものを選んでください。
 あぐらの出来ない人は正座か椅子に足を組まないで座り行ってください。あと部屋の温度は快適にして、空気も換気しておく。ゆったりした服装で行うなどです。
 時間は最初は15分くらいがいいと思いますが、頑張ったり我慢することなく行える時間でやります。
 何もしないで座っていると、次から次へと考え事がよぎったり、手いたずらをしたくなったり、体をモゾモゾと動かしたくなったりする事があるかもしれません。その時は頭や体が起こすことを止めようとせずに、そのままで座り続けます。考えや感情、体の動きが出たらなるべくそれに対してあれこれ反応せず、現れたものが動くままにさせます。
 これらは座禅や瞑想では良くない避けるべきとされるものでしょうが、私はその意味や価値を認めているので、受け入れてそのままにした方はいいと思っています。
 雑念と思われる止まることない考えは、それをただ浮かぶままにさせれば頭の整理になりますし、手いたずらや体が落ち着きなく動くのは自発動という体を整える動きにつながります。(自発動についてはこちら
 自発動は体が自らを整えるために起こす本能的な動きで、この人の意志とは関係ない自動的な動きに身を任せると、体の歪みや悪いところが自然に調整されていきます。私が決まり事なく無努力で座るのを勧めるのは、この自発動を起こさせるためというところがあります。
 手いたずらや体をソワソワさせるのを止めることなく、その動きに意識を合わせて動いていると、自分の意志とは関係ない体の動きを感じられるようになってくると思います。勝手に体のあちこちが動くので初めは怖くなりますが、そのままにしておけば動きは自然に抑まります。
 また、自発動が起こらなくても、手いたずら(脳を整理する事と関係している)や首をクネクネ動かしたくなるのも自発動と同じことなので、体が欲するようにさせてください。
 これらの行儀の悪い、また奇異に思える動きは、普段は人目を気にしたり、意識を自由にさせる時間を持つことがないのであまり出てきませんが、すべて体を整えてくれるものです。
 自発動が体を整えるのを見ていると、体の歪みは人が外から完全に矯正するのは不可能なほど、微妙で複雑なものだということが分かります。
 そうやって体を整えるのには時間がかかるので、いくら座って自発動を行っても足りないと感じてしまうほどです。また、これをやると背骨がポキポキ鳴ったりして気持ち良くなるところもあります。
 長い時間やっても構いせんが、頑張ったり我慢する感覚なく楽に行って下さい。座っていて疲れたり、面倒になったらそこで止めにします。
 そして、この静功の効果は自発動が起こることだけではないですから、体が動かないという人はそのまま座ってみてください。ただ静かに座る中にほかの様々な発見もあると思います。

 決まり事のないこの無努力静功は、入静しようとしたり、姿勢や呼吸を気にしたりと気を配ることがある普通の方法よりやりにくいところもあるかもしれません。人は何もしないでいることにあまり慣れていないでしょうから、制約のなしのこの状態は楽なように見えて逆に困ってしまうと感じる人もいるでしょう。
 しかし、精神修養やビジョンを見るといった目的、そのための姿勢、呼吸などを行わずにただ座り、次々と現れる考えや落ち着かない動きのままでいることは、無駄なことのように見えますが大切な意味があります。(自発動や入静は目的とも言えなくはないですが、これらは自分から起こそうと追及するものではなく、自然に起きるものだと考えてます)
 私たちは自分を中心とした意識的な考えにいつもとらわれて、自らの存在を狭めて生きづらくしてるところがあるのではないかと思います。この静功を行って、意識的な考えや努力のない、日常生活から離れたなんでもない時間を持つと、自然の力とも言える本能の知恵は、一見無意味に見える考えや動きを起こして、人の体の歪み、心のとらわれを私たちの気付かないところで整えてくれます。
 これらは実際に体験してみないとわからないと思いますので、一度気を紛らわせる物も決まり事も何もない中で座ってみてください。ただ座り続けるだけでいろんなことが起き、様々な発見、学びがあると思います。

 フランスの思想家パスカルは「人間の不幸というものは部屋の中に静かに休んでいられないことから起きる。」と述べましたが、私としては、「部屋で静かに座ることは私たちの知らない興味深い世界への入り口になる」、という言葉をそのあとに付け加えてもいいかなと思っています。

 このカテゴリーの記事を書くのは久しぶりですが、ここではやったことがあるのとないので違いのでる、一生に一度は試してもらいたい健康法を紹介しています。

 今回取り上げるのは皮膚をつまんで引っぱるという健康法です。
 ふつう誰でもセルフマッサージで体を押したりもんだりすることは経験があると思いますが、皮膚をつまんで引っぱるという方法をやったことのある人は少ないでしょう。
 この皮膚つまみ健康法は、入浴中やテレビを見ながら簡単にできて、血液やリンパの流れの促進、疲労をとる、免疫力を上げるなどの効果があるとされますが、私が特に効果を感じるのは、皮膚と筋肉などの癒着をはがして私たちが気づかない皮膚の歪みを直し、肌や筋肉を柔らかくするということに関してです。

 全身をつまんで引っぱってみるのがお勧めですが、まずはやりやすい手足で試してみるのがいいと思います。
 引っぱり方はなるべく皮膚を薄くつまんで軽くひっぱり上げます。薄くつまめない場合は普通につまんで引っぱってください。つまむ所をこまめに変えながら多くの箇所でやります。横方向でつまめても縦方向だとつまめないなんてこともあるので、つまみにくい方もやってみてください。
 特に念入りにつまんだ方がいい箇所は、皮膚が下の組織とくっついてつまみにくい所、皮膚の色がくすんだりかさついたりしている所などです。
 皮膚を引っ張るのは東洋医学では「陰圧」と呼ばれる方法で、これは力の弱い人にもできて、押したりもんだりする「陽圧」を行う場合のように「もみ返し」が起こらないので安全とされていて、効果も高いといわれています。ひっぱり上げることで毛細血管が拡がり、血行が良くなってポカポカするのを感じられると思います。そして皮膚の新陳代謝が活発になることで、肌の老化を防ぎます。
 中国では伝統的に病気はまず皮膚に表われるとされ、「良医は皮膚を治す」と言われるほど皮膚の治療を重視します。
 以前このブログで簡単に皮膚をきれいにする方法としてあかすりについて書きましたが、この東洋医学の見方からすると、あかすりや皮膚を引っぱることなどで肌の状態を良くするのは、とても健康効果のあるということだと言えるかもしれません。

 肩こりがある場合は肩の周り、腰や肩、膝などが痛い場合はその周辺の皮膚を引っぱってみて下さい。目が疲れた時は目の周り、まぶたや眉、こめかみなどを。また、内臓の不調がある人はお腹の皮膚を引っ張ると効果が期待できます。

 注意点はあまりないけど、顔の皮膚は強くひっぱりすぎないといったところでしょうか。顔はソフトにつまみ上げれば美容にも効果的だと思います。
 私は肩や二の腕の外側が昔は全然つまめなかったけれど、やっているうちにつまめるようになりました。つまめるようになるとその箇所の筋肉と肌が柔らかくなるのがわかります。
 頭皮もつまめればいいそうですが、なかなかつまめるようにはなりません。犬の頭の皮をつまむと難なくつまめますが、ああいう状態が理想的なのかもしれません。
 どのくらい皮膚をつまめるかはかなり個人差があるみたいで、顔の皮がメチャクチャ伸びるびっくり人間やお腹の皮が10センチくらい伸びる人をテレビなどで見た事があります。皮膚の柔らかさは、心身のリラックス感と関連しているのではないかと私は考えています。

この記事を書くにあたって私も久しぶりに全身を引っ張ってみました。昔つまみにくかった所は、当時よく引っ張って柔らかくしたから今もつまめるかと思ったら、ちょっと固くなっていました。それでも念入りにやればまたつまめるになり、なによりやると気持ちいいのを再認識しました。
 この皮膚つまみは手軽ですから、押して駄目なら引いてみな、と一度やってみてもらえば、思いがけない様々な効果が実感できると思います。肩こりや疲れ目解消なんかにも使えるので覚えてもらって損はない方法だと思います。

 今回お得な健康法として取り上げるのはゴロ寝です。
 ゴロ寝は生理的欲求なので、健康法とは言えないかもしれませんが、ゴロゴロしてるのは体に良くないと言われたり、日本人は何かしなきゃという考えにとらわれすぎて、ゴロ寝をしても落ち着かなかったり罪悪感を感じるなんてこともあると思うので、ゴロ寝を積極的に評価する意味も込めてこの記事を書こうと思いました。

 ヨーロッパの人なんかはバカンスでリゾート地に行っても、何もしないでノンビリしていることが多いそうですが、日本人は休みとなれば人があふれる行楽地に行ったり、旅行でも予定をぎっしり詰め込んだりしてせっかくの休みでもかえって疲れて消耗してしまうなんて事があります。
 そんな休み下手なところのある日本人ですが、ストレスの多い現代では心身の健康を守るため、疲れたり、何もしたくないならなるべくゴロゴロすべきではないでしょうか。
 いつでもゴロゴロしていたい人もいると思いますが、そういう人は体のエネルギーがマイナスになっている状態だからなおさら体を休めるべきでしょう。
 疲れている時は、ストレッチやウォーキングなどで軽く体を動かした方が、血行が良くなって疲労も取れやすいと言われています。でも簡単なことでもやりたくない時は、何もやらないのに越したことはありません。
 別にリゾート地に行かなくてもゴロ寝はすぐにできます。寝転がってテレビや音楽、本を楽しんだり、ただボーッとしたりする無為な時間を過ごすのも大事です。ゴロ寝からのうたた寝なんかも最高ですよね。とにかく楽(ラク)は楽しいということだと思います。

 ゴロ寝を表すゴロゴロするという言葉には、ゴロ寝の健康法としての秘密が隠されていると私は考えています。
 ゴロゴロには一ヶ所に同じ体勢で寝ころんでいるのではなく、ゴロゴロと動いて姿勢を変えているというニュアンスがありますが、これは眠っている間の寝相の動きと同様に、体が無意識に動いてゴロゴロする事で、色んなところのコリや歪み、疲労を上手に取っているという事なんです。この動きはリラックスしてないと出ませんから、まさにゴロ寝の恩恵といえるでしょう。

 それでも現実的にゴロ寝と体を動かすことを比べれば、体を動かすほうがいいのは確かですが、そのためには体を動かしたいと思えるようになる事が必要です。そう思えるようになるために、ゴロ寝があると思います。つまりゴロゴロして心と体が整えられて満たされれば、自然と動きたくなるという事です。人の体は動かすようにできていますから、そう無限にゴロゴロしていられません。しかし、ゴロ寝したいけれどゴロゴロしていてはいけないと思って、体を無理に動かしてしまえば、いつまでたってもゴロ寝への欲求が残って、それにとらわれてしまいます。
 休むと動きたくなるのは当たり前の話ですが、まずリラックスから始めた方が理にかなっていると思います。そうしておけば無理に頑張って消耗したり、必要以上にゴロゴロしたりしない適度なバランスが保てるようになるはずです。
 よく自分が何をやりたいか分からないなんて言う人がいますが、そんな時はまずゴロゴロすれば何か見えてくるんじゃないでしょうか。また物事に積極的になれないと悩んでいる人は、ゴロゴロすることだったら積極的にやれます、と勧めるのは冗談ですが(^_^;)

ゴロ寝と対比される運動するということにも少し問題があるように思えます。
 今はそれでもだいぶ意識が変わってきているでしょうが、日本人の考える運動というものは、学校の部活動の影響か、または真面目な性格によるのか分からないけれど、何か激しく厳しいものでなくてはならいという感じがして、体を動かすことの楽しさからはかけ離れているのではないでしょうか。 
 運動というとキツイい鍛錬のようなものをまず想像してしまい、やりたくないと考えてしまいがちですが、体を動かす楽しさは激しくではなく軽く体を動かした時の方が感じられると思います。そして、中年以降の激しい運動は、活性酸素を大量に発生させて病気や老化をもたらしますから、あまり勧められるものではありません。(激しい運動をするスポーツ選手の寿命は一般の人より短いそうです)
 運動は負荷の軽い、歩くなどの有酸素運動を行うとさまざまな良い効果を得られますし、そしてなにより大切なことですが続けられます。また、掃除や家事などでこまめに体を動かすことでも十分に運動になります。

 話はちょっと変わりますが、良い姿勢で本を読めばまったく疲れないなんて意見があります。でも、姿勢を意識していたら本の内容に集中できませんし、良い姿勢を10分でもキープするのは私には不可能だから、絶対にラクな姿勢の方を支持します。
 以前、ノーベル物理学賞を受賞した益川敏英先生が、勉強する時はベッドに寝転びながらしている、と語っているのをテレビで見たことがありますが、こんな話を聞くとゴロ寝は体のケアだけでなく、勉強・頭の働きにも良い影響を与えるのかもと思ってしまいます。
 ノーベル賞を獲るような先生がベッドでリラックスしながら勉強するのだから、私などはもっともっとゴロゴロしなければならないのかもしれません(^o^)/

 今回のとりとめのない記事のまとめとしては、より良い明日、精力的な活動、そして重力を感じない快楽のためにゴロ寝して、英気を養いましょう!、というところでしょうか。

 (前回からの続き)

 「食事でかかる新型栄養失調」の中には、食事でミネラルを補給すると良くなる可能性のある病気や症状として、うつ病、躁うつ病、糖尿病、リウマチ、冷え症、低体温、アトピー、化学物質過敏症、認知症、腰痛、アスペルガー症候群、自閉症、発達障害、などが挙げられています。
 これらのものは治らないか、治療が難しいとされるものが多いですが、その症状・病気発症の原因としてミネラルの不足があることが考えられます。医者や栄養士はミネラルの大切さや、食品のミネラルがこれだけ不足していることを認識していないので、ミネラルの不足について一度考えてみないと、薬を飲むなどの治療は見当違いのものになり、病気を長引かせるだけになるかもしれません。
 この本ではミネラルの摂取で様々な症状が回復した例が多数掲載されています。興味を持った方、また眉唾に思われる方も、とても興味深い本なので一読をお勧めします。

 このように、現代では健康的な食事をしていると思っている人でさえもミネラル不足に陥ってしまう状況にあります。
 「食事でかかる新型栄養失調」ではミネラルを摂取するための方法として煮干し・ダシの出る魚のアゴ・昆布でダシをとって、それを様々な用途で使うことを勧めていいます。そして、多くのミネラルを含んだ「無添加白だし」という商品を「食品と暮らしの安全基金」で販売しているようです。
 その本自体「白だし」の宣伝という意味もあると思いますが、私は買ったことはありません。しかし、本の中に書かれているように、ミネラルはかなり意識的にとらないと不足してしまうので、食事でミネラルを摂取するための注意点を書いてみます。

 ミネラルが豊富に含まれる食材は、丸ごと食べる小魚(シラス、ちりめんじゃこはミネラルが少ないそうです)昆布・海苔・ひじきなどの海藻類、アーモンド・カシューナッツ・クルミ・栗・銀杏などの木の実、ソバ・ゴマ・雑穀等の種子類、大豆・大豆製品・小豆などの豆類、牛乳・チーズ・ヨーグルトなどの乳製品、コーヒー、ココア、チョコレート、ハチミツ、また玄米や全粒粉、黒糖、自然塩などの精製されてない食品などです。これらを積極的に摂るように心がけます。
 油は精製されてないエクストラバージンオリーブ油やゴマ油を使うとミネラルの補給になります。
 野菜は旬のものを選び、調理する時にはアク抜きや下ゆでをあまりしないほうが栄養素が失われないので良いそうです。あと野菜の皮の部分は、ミネラルと共に抗酸化作用のあるファイトケミカルも含まれるので皮ごと調理するようにします。
 そして、ミネラルがあまり含まれていない「ほんだし」を使うのを止めて、昆布や煮干しでダシをとったり、ミネラルの吸収を阻害するリン酸塩の含まれてない食品(加工食品や外食では含まれないものを探すのは難しいですが)を選ぶようにしたいです。外食ではピザやレバニラ炒め、モツ煮、ソバなどがお勧めだそうです。

 「食事でかかる新型栄養失調」の出版される前に同じ著者、出版社で出された「食べなきゃ危険!」という本があります。
 「新型栄養失調」の本がカルシウム、マグネシウムなどの主要なミネラル不足を問題にしているに対して、この「食べなきゃ危険!」では検出するのが難しく、働きもよくわかっていないものが多い微量なミネラルの不足に注目して、それらを多種類含む「無添加白だし」を使うことで、アスペルガー症候群、高機能自閉症、広汎性発達障害などの子供の症状、問題が改善された事について詳しく書かれています。
 ミネラルは心身の働きの調整に必要ですが、脳の神経伝達物質を作るのにもミネラルは必要なので、ミネラルが不足する事で、上記の子供の症状が強く表れていた可能性が考えられるそうです。
 実際にダシの摂取でアスペルガー症候群などのほかに、子どもたちの低体温、偏食、アレルギー、化学物質過敏症などが改善して、食欲・身体の動き・気力・学習意欲の向上や気持ちが落ち着き穏やかになるといった実例が「食べなきゃ危険!」の中に数多く掲載されています。
 特に印象的なのが、アスペルガー症候群と診断され、相手の気持ちを読むのが苦手でこだわりが強い、パニックを起こす、偏食など様々な問題を抱えた「こうちゃん」という8才の男の子の改善の記録です。
 こうちゃんは絵を描くのが好きで、自分の気持ちや周囲に理解されないもどかしさを絵に表現してきていました。そのこうちゃんの描く絵は絶望的な気持ちを表現していたものが多かったのですが、「白だし」を摂取するのと共に少しずつ明るく自信に満ち溢れたものに変わっていくのを見ることができます。この絵の実際の変化を見ると、ミネラル摂政の効果がありありと分かります。
 そして、こうちゃんが自らの問題を克服して周囲を驚かせ、見違えるように変わっていく様子が詳しく書かれています。
 「食べなきゃ危険!」は近年その数が増加して一生治らないものとされ、治療法も抗うつ薬を飲むくらいしかないようなアスペルガー症候群、発達障害などの子供の病気の気づかれない原因に、現代の食品のミネラル不足の問題が関わっているのではないかと考えさせる本です。

 「食事でかかる新型栄養失調」と「食べなきゃ危険!」の出版は2010年ですが、内容としては社会問題になってもおかしくないものだったと思います。しかし、東日本大震災やそれに続く放射能汚染の問題の影響、また食品業界、外食産業となれ合いの関係にある行政、宣伝費をもらっているマスコミは全くと言っていいほどこの問題に関心を示さなかったため、多くの人がこの事実を知るまでに至ってません。食品のミネラルが増えたという話も聞かないのですべては以前のままということだと思います。
 知らぬが仏でミネラル不足からくる症状によって病院に通い、薬を飲み続けるのも人生かもしれませんが、そうなるのが嫌だと思ったら、これらの本を一読して、ミネラル不足の問題を一度考えてみてはいかがでしょうか?知っているのと知らないのでは人生に大きな差が出ると思います。

 「食事でかかる新型栄養失調」(小若順一・国光美佳著 三五館)という興味深い本があります。
 小若氏は「食品と暮らしの安全基金」という団体の代表として、ポストハーベスト農薬の全容解明など、食の安全を守る活動を長年行っていて、基金として毎月冊子を発行しているほか、「食べるな、危険!」など多数の著書を出されている方です。
 この本は、普段私たちの食べている様々な食品のミネラルが不足している事実を、コンビニ・持ち帰り・宅配弁当や外食、冷凍・加工食品、さらに厚労省の職員食堂の定食など31品目を専門機関で調査してもらい、そのすべてで主要なミネラルがかなり不足していて、こういったものを食べ続けるとカロリーは足りているが栄養が全く足りてない「新型栄養失調」になってしまう事を指摘しています。
 この調査ではカルシウム、マグネシウム、鉄、亜鉛、銅の5つを主要なミネラルとして計測していて、それらのミネラル含有量はほとんどの品目で厚労省の出す「推定平均必要量」、この食事を続けると半数の人が何らかの病気になる可能性がある、という最低限の基準ですら全然満たさないことが書かれてます。中にはカルシウムが1~2歳児が必要とする基準量より少ないものもあったそうです。これだけカルシウムが不足すると精神的に不安定になり、イライラしやすくなってしまいます。
 ミネラルは炭水化物、タンパク質、脂肪、ビタミンとともに五大栄養素の一つで、体の重要な構成要素であり、筋肉や神経、また精神の働きの調整に欠かせないものです。主要なミネラルの他にもマンガン、ヨウ素、クロム、セレンなどごく微量なミネラルも数十種類あって体にいろんな働きをしているそうです。
 そして、ミネラルが不足すると体がだるくなる、やる気がわかない、イライラする、神経過敏になる、骨が弱くなる、冷え、むくみ、貧血、生理不順、髪が薄くなる、心疾患、うつ病、糖尿病、認知症、などもっといろいろありますが多くの症状の原因になります。

ミネラルがこれほど不足する原因は様々な事が考えられます。

*白米や小麦粉、白砂糖、精製塩などミネラルやビタミン、食物繊維などを多く含んだ部分を精製して取り除いてしまっている。

*私たちがいつも使用、摂取しているサラダ油やてんぷら油、ラードなどはミネラルを完全に抜かれた精製油です。精製油を使うことで栄養のない高カロリーの油を摂取する事になります。
 また弁当や外食で食べる天ぷら、フライなどはほとんどこれらの油で揚げられているのですが、この時精製された揚げ油の中では、食材からのミネラルが油に溶け出してしまうので、おかずのメインになる揚げ物のミネラルが抜けてしまう事になります。

*野菜の栄養の低下は以前から指摘されてますが、これは化学肥料の使用、野菜が大量生産や効率のために品種改良された、流通の問題で早く収穫される、野菜工場やハウス栽培で旬でない野菜を食べること、用水路がコンクリで整備されて農業用水に含まれるミネラルが減少したなどの理由があるそうです。

*純水の使用。ジュースやビール、スーパーの持ち帰りの水、さらに家庭用の純水製造装置などミネラルを取り除かれた純水を飲むことが増えています。
 純水を飲むと体内のミネラルのバランスを崩したり、また本来水に含まれているはずのさまざまな微量のミネラルは、心身の調整に関係がありますが、純水ではそれらが取り除かれている、などの問題が指摘されているので、純水はあまり飲まないほうがいいそうです。

*家庭でダシを使うときに化学調味料を多く含み、ミネラルが少ない「ほんだし」がよく使われている事も影響しています。また家庭でダシをとっていてもカツオ節でとっていた場合、味はおいしくなるけどミネラルはあまり取れないそうなので、昆布や煮干しを主に使ったほうが良いということです。

*水煮食品の増加。水煮食品は中国などの製造費が安い国でニンジン、イモ類、キノコ、タケノコ、豆類などを水で煮てパック・冷凍されたもので、これが海外で加工されたり、輸入されて多くの食品に使われています。水煮と洗浄を何度か行うので栄養素が抜けてしまっているという事です。
 この水煮食品がコンビニ・スーパー・持ち帰りの弁当や企業・病院の給食、外食産業・チェーン展開されたレストランや居酒屋で多く使われ、そして冷凍食品やレトルト食品の中身にも使われています。このミネラルやビタミンの抜けた水煮の食品と、通常の家庭で調理する時の野菜などを同じものとして栄養の計算がされるので、ミネラルの不足が見落とされるようになっています。
 最近は食べるものが安くなっているなんて言いますが、安い理由の一つはこういう栄養のない食材で作っているからでしょう。

*食品添加物リン酸塩の使用。リン酸塩は水煮食品を保存するために使われます。ほかにもカビ抑制、変色防止、成形肉の結着力向上、肉・魚の増量などの用途のため幅広く使われています。
 リン酸塩は毒性が低く、体内に吸収されにくいものとされて大量に使われていますが、胃の中でミネラルと結合して体外に運び出してしまいます。この時、特に影響を受けやすいのが、心身の働きを調整するのに重要な微量のミネラルだそうです。
 リン酸塩は食品の原材料表示に「リン酸塩」「ポリリン酸NA]「メタリン酸Na」「ピロリン酸Na」などと表示されていますが、そのほかにPH調整剤、調味料、かんすい、膨張剤、ベーキングパウダー、イーストフード、乳化剤、などと表示されているものにも入っているので注意が必要です。
 これらの添加物はあらゆる食品の原材料表示に見られるので、現代人のミネラル不足の大きな原因と考えられます。さらにミネラル不足の原因となるばかりでなく、体に悪影響を与えるものも多いので、なるべくリン酸塩等を含む添加物の少ない食品を選んだほうが良いです。

 (次回へ続く)

 (前回からの続き)

 カウンセリングなどで、過度に人のことを気にしてしまったり、物事を悪い方向へ考えてしまうなどのパニック発作や予期不安を起こしやすい心の傾向に気づくのも大事な事だと思います。
 このブログでは肉体的な面のアプローチに関して多く書きましたが、心理的なことについてはあまり触れてきませんでした。
 そこで最後に、私が考える不安に対する心理的な対処法を書いて、パニック障害に関する記事を終わりたいと思います。

 パニック障害の人のさまざまな想い、いろんなものに感じる怖さや出来ることが限られる事への不満、自分に対する複雑な感情、それから将来の事、これらの考えは頭の中で次々と止むことなく起きて、気持ちを混乱させ、さらに多くの不安を呼び起こします。
 その状態はとても辛いので、誰もがネガティブな考えを取り除こうとしたり、それを違ったものに変えようと試みます。しかし、これらの考え・感情は実際に自分の中にあるものなので、無理やり排除したり、変えたりするのは自分をあざむくことでもあり、本当の気持ちを心の奥にただ押し込め隠してしまう結果になってしまいます。
 少しややこしい事を言いますが、私たちの中のネガティブな考えとそれを消したり、変えたいという考え、私たちはたいてい後者のこうしたいと理想的に考える方を本当の自分と思っていますが、それらの考えはともに私の考えというひとつの同じものです。もし考えないようにしたり、考えを変えようと「考えて」それを行って成功したように見えたとしても、私が「考えて」それを行った限り、その考えはやはりネガティブな性質を含んだ私の「考え」という同じものだから、結局はより根の深いネガティブな不安が戻ってきてしまいます。
 さらに、不安でネガティブなありのままの考えと理想的な考えが一つのものである心の中で分裂してしまうと、その争い、葛藤はいつまでも続きます。
 したがって、不安をなくすためにはネガティブな考えとそれを変えたい考えも含めた「考え」というもの全体に取り組み、それを整理して片付けてしまわなければなりません。考え全体を整理すればとてもシンプルになり、頭の中で、ああしなきゃとか、これはダメだと考えが絶えず動くのを止められるようになります。
 そうするためには自身の考えをじっと見るようにする必要があります。これは、自分の感情も含めた考えに対して否定的になったり、私はこれでいいと肯定したりせずに、ただ自分の気持ち、考えを判断なく知るようにするという事です。
 例えば、予期不安で電車に乗るのが怖かったら、そんな自分を批判したり肯定することなく、電車に乗ることが怖いという気持ちを見て、そういう気持ちを持つ自分なんだとただ知るようにします。(電車に乗れない現実の姿を変えたいと思う考えも知るべきものですが、これはあるがままから派生した副次的なものですから、まずあるがままを知るようにします)
 電車が怖い、乗れないというあるがままの気持ちと現実を、内心で言葉を発する事なく黙って見つめ、自身を知るようにすると、不思議なことに、いつでもあれだけ頭の中で止まらなかった不安な考えが静かになっているの気づくと思います。
 発作が起きないか怖がっている自分、乗れない自分をただ見つめる事は、そのままの自分でいる事といえますが、このときに人は余計な問題を待たないシンプルな状態になります。そこには、私は電車が怖くて乗れない人だ、という事実があるだけで問題はそこで終わっているからです。以前は怖い、どうしよう、それではダメだ、でもしょうがない、だけど・・・と続いていた考えが、自分を見つめてあるがままの姿でいる事で止まり、それ以上悩まなくなります。
 ありのままの自分でいて心が安定する事で不安がなくなると、今まで際限なく悩むことに費やされていたエネルギーが問題の本当の解決のために使われるようになり、徐々に電車に乗れないなどのいろんな事がよい方向に向かっていくのを感じられると思います。
 心が静かになると、私たちの意識を超えた、心の自然治癒力ともいえる知恵が働くようになります。
 さらに、自分をそのままに見つめれば、私たちは自らを表面的にだけでなく、そのより深い部分まで知る事ができるようになりなります。
 私たちがふだん気づかない隠された欲求、恐怖、思いが判断なく見つめる事で明らかにされてきます。それらに気づく事は、私たちの悩みを解消する手助けにもなり、パニック障害につながる意識してなかった要因を理解できるきっかけになるかもしれません。

 今回の悩みを解消するための方法は、インドの宗教哲学者クリシュナムルティの教えを基にして書きました。(クリシュナムルティについてはこちら
 基にしているというと私がアレンジしたみたいだけどそうではなく、クリシュナムルティも同じ事を言っているのですが、たぶん私が今回したような教えのある部分だけを切り取る事や、悩みを解消するためにある「方法」を使うといった考えは、クリシュナムルティが正しくないとするところだと思うので、そんな言い方をしました。
 ですから、今回私が書いたことに興味を持たれた方はクリシュナムルティの本を読んでみてください。そして、人が真に生きるとはどういうことかについて語る彼の奥深い教え全体に直接触れてみてほしいです。(彼の宗教団体というものはないので、これは勧誘ではありません)
 ここではクリシュナムルティの教えがどうという事はちょっと置いておくとして、今回書いた、不安・恐怖を持った自分を心の中に言葉を持たずに見つめ、ありのままの姿でとどまる事によって、実際に心が落ち着くのを感じられると思うので、一度試してみてください。
 例えば、この文章が訳がわからん事言っているなと思ったら、訳わからんと思っている自分を知るといったかんじで自分を見つめます。
 これは体得してもらえば不安を大きく減らす事ができ、パニック障害の改善や悩みを持った心の理解にとても役立つとものだと思います。

 これでパニック障害改善についての記事は、私が今この病気について思うことをだいたい書いたので終わりにしたいと思います。
 長い文章ばかりでしたが、読んでくださった方、ありがとうございした。
 パニック傷害を治すためには、症状に取り組むほかに薬というやっかいな問題もつきまといますが、基本的には他に頼らず、自分でやることを決意する必要があると考えます。そのために、このブログで書いてきた事が少しでもお役に立てたら嬉しく思います。
 様々な改善法について書きましたが、パニック障害の改善をもたらすとされる方法はほかにもたくさんあるので、粘り強く探せば本当に自分に合うものを見つけられると思います。
 あきらめずに病気に向き合い、症状が良くなることを願っています。

私の中にある神経質さや内気さ、内向性は精神的な弱さとなってパニック障害になる原因になったかもしれません。それらは良く言えば繊細さとも言えるかもしれませんが、その繊細な短所のおかげで生きにくい事もたくさんあります。しかし、同時にそれによって知る事ができたものもたくさんありました。
 この特性は大切な何かであるとだって言えなくもないですから、無理に手放そうとしたりせずに、それと共にこの生きにくい時代を生きていこうと私は思っています。
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