家で取っている地方新聞に子どもの詩を掲載するコーナーがあり、楽しみに読んでいた時期がありました。
 文学作品としての詩は谷川俊太郎さんや、まどみちおさんの詩が面白いなと思ったことがあるくらいで、あまり読んだことはありません。詩に限らず短歌や俳句の味わいも良く理解できないほうなので、私はそういったことへのセンスがないのでしょう。
 しかし、子どもの詩はとてもわかりやすく、直接心に通じるところがあります。
 とにかく発想がおもしろいですし、大人が心動かされる感性を子どもの書く詩は示してくれます。
 

 家で読んでる地方紙で見たものにはこんな詩がありました。

  
   さか上がり

  地面をけって
  回ってみよう
  さかさになると
  いつもちがう
  世界が
  広がっている

 
 
   空

  空は毎日表情を変えている

  ほら、今日は晴れで笑っている

  ほら、今日は雨で少し悲しそう
  すごいなぁ
  すごいなぁ


  
   さくら

  さくらのはなびらは
  かぜにとばされて
  どこまでいくのかな
  わたしのてのひらにとまった
  ハートのかたちだね
  はなびらにそっといった


 逆上がりするたびに見える景色が違う、という鋭い観察眼にはハッとしてしまいます。
 そして、空を見て「すごいなぁ」と素直に感動することや、桜の花びらと心を通わせるなんてことは、大人が忘れてしまっている気持ちではないでしょうか。
 こんなかんじに子どもの詩にはセンスオブワンダー(さまざまな物事の神秘や不思議さに目を見はる感性)や、子どもらしい率直な心情がたくさんつまっています。
(しかし、大人は子どもが持つこういった心にあまり気づかないのではないでしょうか。そして最悪なのは、自分たちの型にはまったつまらない考えを押しつけて、子どもの感性を殺してしまっている場合が多いことです)
 
 
 毎週楽しみだった詩のコーナーなんですが、最近はなぜかありきたりな作品が多くなって読まなくなってしまいました。
 ゲームやスマホの影響で、外遊びをしなくなっている子どもの創造性が低下してるのでしょうか。でも、読売新聞に出てる子ども詩は面白いものがまだ出ているみたいですから、そんなこと無いとは思っています。


 ここから私が「おひさまのかけら」(川崎洋編 中央公論新社)という本とネットで見つけて好きになった子ども詩を紹介します。
 たくさん載せるけれど、どれも味わい深い作品なので最後まで読んでいただけたらと思います。(本来の縦書きで紹介できないのがちょっと残念ですが・・)



 子ども詩にはユーモアあふれる作品が多いです。子ども達はいたって真面目に書いているのでしょうが、何とも言えないかわいらしさで読む方をニッコリさせてくれます。

 
   ねこやなぎ

  ねこやなぎって
  とりさんのおもちゃなんだよ
  ほんもののねこさんにさわると
  とりさんドキドキしちゃうでしょ
  だからねこやなぎをさわって
  ねこさんってこんなかなって
  かんがえながらあそぶんだよ



   ゴジラ 

  ゴジラって
  口から
  火をふくから
  きっと
  歯がしみるね
 

 
   かぶとむし
 
  すずむしみたいに
  なかないけど
  かぶとむしは
  こころのなかで
  どすこいって
  いっているんだよ



   せんせいがおこったら

  せんせいがおこると
  ガラスがこわれ
  じめんがこわれ
  ちきゅうがばくはつし
  うちゅうもばくはつし
  このよはおわる
  みんなが
  しぬ

 

   おとうちゃん大好き

  おとうちゃんは
  カッコイイなあ
  ぼく おとうちゃんに
  にているよね
  大きくなると
  もっとにてくる?
  ぼくも
  おとうちゃんみたいに
  はげるといいなぁ



 ありきたりな知識に染まってない子どもはさまざまな事を不思議に思い、哲学的にとらえもします。


   鳥

  地面に歩いてる鳥をみていたら
  「スッ」
  と羽を広げて飛んで行った
  私が頑張ってもできないことを
  一秒で一瞬でやってしまった
  何気ない風景が 
  貴重な一瞬に見えた

 
 
   けしゴム

  自分が書きちがえたのでもないが
  いそいそと消す
  自分が書いた嘘でもないが
  いそいそと消す
  自分が汚した汚れでもないが
  いそいそと消す

  そして消すたびに
  けっきょく自分がちびていって
  消えてなくてなってしまう
 
  いそいそと いそいそと

  だたしいと思ったことだけを
  ほんとうと思ったことだけを
  うつくしいと思ったことだけを
  自分の代わりのように
  残しておいて



   さんすう

  ぼくが
  ひいたかずは
  どこへいったの?

  ぼくがたしたかずは 
  どこからきたの?

  四次元空間からかな?
  それとも
  じめんの中からかな?
 

 けしゴムの詩はネットで見つけたのですが、本当に子どもが書いたのかな、と思ってしまうほど、作品としての完成度が高くて驚きました。
 さんすうの詩の哲学的ともいえる問いは、哲学や科学の出発点になるものではないでしょうか。



 子どもの率直な心情があらわれてなんとも心に響いてくるこのような詩もあります。


   土

  がっこうのかえり
  ことりがしんでいました
  ぼくは
  おはかをつくってやりました
  土があってよかったです



   のらねこのミミちゃん

  今朝のらねこミミちゃんは 
  バイクの上にのって
  しっぽをまげて
  体が地めんにおちそうで
  お兄ちゃんがぼうでつっついても
  にげないでじっとしていた
  こおっている
  ミミちゃんの目はきれいだった
  茶色で黒目がなかった
  きっとすごくさむかったんだね
  もうにどと会えないね



   お母さんがまっている
 
  早く帰りたいな
  早く学校がおわらないかな
  きょうはお母さんが家にいるんだ
  お母さんがお休みなの  
  早く帰りの時間になってほしい
  家に帰ったらこういうんだ
  「お母さん ただいま」



 子供たちの詩いかがだったでしょうか。
 子ども詩に興味を持たれた方は、読売新聞にのったものを詩人の川崎洋さんや長田弘さんがそれぞれ選んだ詩集があるので読んでみてください。
 本に掲載されている詩は選ばれた良作ばかりですが、こういった詩は特別な子が書くというものではなく、大人が子どもの感性を大切に育めば、面白い詩を作りだすものだと私は思っています。



 子ども詩というと灰谷健次郎さんも子ども詩の指導者として有名でしたが、最後に灰谷さんの著書「せんせいけらいになれ」(角川文庫)から私がとても感動した詩を載せて終わります。
 これは女の子がおならについて書いた詩で下品と思われそうですが、とにかくユーモアがあってスケールの大きい、人の存在全てを包み込む人間賛歌のような詩です。


   おなら

  わたしがおとなだったら
  かんごふさんになって
  おならばっかりこきます
  びょうにんをしんさつしているときも
  おならをこきます
  かんじゃさんががまんしてたら 
  もっと もっと
  おならをこきます
  けっこんしても おならをこきます
  わたしのうんだ子どもにも
  おならをこかします
  うれしいときも
  おならをこきます
  おめでたいときも 
  おならをこいておいわいします
  わたしがいいことしてしぬと 
  みんなおはかにきて
  ほめてくれるでしょう
  そのときも
  おならをこいて 
  みんなをおどろかします
  かみさまにおこられても
  ぷーぷーおならをこいて
  ごまかしておきます







04 14
2017

はじめました。

 最近ツイッターをよく見る機会があり、今さらながらなのですが面白く感じて、私もやってみたくなりました。
 健康法とは関係ないことも含めて、つらつらつぶやきたいと思います。
 よかったら覗いてみてください。@mudoryoku

 どれくらい続けられるかな?




 今年は3月中に寒い日が続いて、三寒四温というかんじもほとんどしませんでした。私の住む地域ではそのため、桜の咲くのがかなり遅かったです。
 満開の桜を眺めていると、やっぱり春はいいなと思いますが、花粉症の人にとって春は一年で一番憂うつな季節かもしれません。目がかゆくてたまらなかったり、鼻水が出てティッシュが手放せなかったりという人も多いでしょう。
 私はひどい花粉症ではないですが、花粉が飛び始めるときに目がショボショボ変なかんじになったり、鼻水が多少出やすくなったりすることはあります。
 でも今年は3月中に寒かったため花粉の量が少ないのか、その症状も出ていません。

 
 花粉症になると鼻水が出るので、どうしても鼻をかむことが増えると思います。鼻水が出るのは花粉やウィルスを流しだすためですから、鼻水はすすり上げたりせずに、よくかんだほうがいいということです。(ちょっと話はずれますが、鼻をかむというのを漢字にすると「擤む」になるそうです)
 しかし、鼻ばかりかんでいたために耳が痛くなる経験をしたことのある人もいるかもしれません。
 鼻を強くかんだりすると、中耳に圧力がかかって耳が痛くなります。また強くかむと耳管にウィルスを含んだ鼻水が入り込むことがあり、そのために中耳炎になったりします。

 そういったことを避けるために、鼻は正しいかみ方をする必要があります。
 専門家によると、鼻をかむときは左右同時にではなく、片方ずつゆっくりと力まずにかむのがいいそうです。
 そして、私はこのことに加えて、上体を前かがみに倒しながら鼻をかむことをお勧めします。
 これは、30年以上前の子どもの頃にラジオで聞いた方法ですが、こうやってかむと耳が痛くなるのを防げます。

 また、あまりに鼻水がグズグズすると、思いきり鼻をかみたくなる時もあるはずです。
 そんなときも前かがみの姿勢だと、ある程度チーンと強くかんでも耳が痛くなりません。強くかむときは立ちあがって、上体をできるだけ前かがみにして片方ずつかみます。
 この方法を使っても、あまり極端に力を入れてかんだり、何度も強くかむと、耳がおかしくなると思うので注意が必要です。しかし、たまにスッキリさせるぶんには良い方法だと思います。


 私は子どもの頃、鼻をかむと耳が詰まったようになることが多く、困っていました。
 そんなときに車のラジオでこのやり方を聞いてさっそく試し、それ以来鼻をかむことから来る耳のトラブルとは無縁になりました。
 たぶん5才か6才くらいの小さいころだったと思うのですが、ラジオからとても良い情報が流れてきたと真剣に聞き止めたのを覚えています。
 

 鼻をかみすぎてよく耳がおかしくなるという人や、たまには強くかんで鼻をスッキリさせたいという人は一度お試しください。
 




 シンクロニシティという言葉は一般的にどれくらい知られているでしょうか。
 スポーツのシンクロ(ナイズドスイミング)は誰でも分かると思いますが、シンクロニシティについて知っている人はそれほど多くない気がします。
 シンクロニシティはスイスの心理学者ユングが提唱した概念で、「共時性」と訳されたりします。「意味のある偶然の一致」「複数の出来事を離れた場所で同時期に生起させる原理」という意味があるのですが、これは例えば虫の知らせといったものや、ある人のことを考えていたらその人から電話がくる、なんてことを指すものです。
 たぶんこういったことはシンクロニシティという言葉を知らなくても、誰もが多かれ少なかれ経験しているのではないでしょうか。


 私はこのシンクロニシティの経験がけっこうある方だと思っています。 
 シンクロニシティについての本を読むと、いろいろ劇的な出来事が書かれていたりしますが、私に起きるのはそんなに大したことではないです。でも小さなことがちょくちょく頻繁に起きる気はします。
 例えば、ある本を読んで、この著者はどんな顔をしているのだろう、と思うと、翌日の新聞にその人の顔写真の載った記事が出ていたり、あるタレントを見たいな、と思うと私の住むところの近くになぜか来たり、といったことがあったりします。
 ビタミンCは体に大切だな、なんて考えていたら知り合いがキウイをどっさりくれたり、たまたま買い物に行った店が年に数回のセールの日だったということが続いたり、といったこともありました。

 特に何かを知りたいな、と思うと何らかの形でその情報が私のところへ来ることは多いです。
 この前は、変わったパン屋を見かけて興味を持ったら、その店を紹介するテレビ番組を見るなんてこともありました。(いつもは見ることのない番組をたまたま見ていたときだったので変な感じでした)
 こういったことは、心理学の用語で「カラーバス効果」と呼ばれるものによって起きているのかもしれません。「カラーバス効果」は、気になっている物事があると、心がそれに関する情報を無意識的にキャッチしやすくなる、という現象です。
 
 しかし、それだけでは説明できないこともあります。
 以前、「秋」という字がうまく書けないな、と思ったことがありました。
 そして、それを思った少し後、私が家の居間を通り過ぎようとした時、ついていたテレビにふと目を向けると、親がザッピングしていた画面がちょうど、あるバラエティ番組でやっていた「秋」の字の上手な書き方というのを映しだしました。
 テレビで「秋」の字の書き方を放送するなんておそらくその時だけでしょうし、私がたまたま通り、親がそのチャンネルをリモコンで押すのが一致するのもありえない偶然なので、これには驚きました。(いったい何がこんな「忖度」を起こしてくれるのでしょうか!^^)
 こんなビックリなことはまれですが、知りたいことの答えが目の前に現れることはけっこうあるので、私は必要な情報は自動的に得られると、この頃は思うようになっています。

 ふと何かが欲しい、ということを思ったときに、それが運良く手に入ったり、安く売られていたりするのを見つけることもけっこうあります。
 まあ、そうはいっても、それに味をしめて意識的に欲の心から「○○が欲しい」と願った場合には、それは現れませんが・・
(でも一度、強く「お金があればなー」と思ったら、乗ったバスの中で分厚い財布が荷物棚に忘れられているのを見つけたことがあります。あの時は困ってバスの運転手に渡しました。でもあれは天の計らいだからもらってしまったほうが良かったのかな、とも後で思いました)



 最近の記事で我流のマンダラ制作法について書いてきましたが、自分としてはマンダラを描くことで心身や周りのさまざまな事柄が整って、こういったシンクロニシティが起きやすくなる、と思うところもあります。
 フランク・ジョセフというシンクロニシティの研究家の書いた本を読んだら、シンクロニシティは瞑想を行うと起きやすくなるということでした。ですからマンダラを描くことには瞑想と同じような効果があるのかもしれないです。 
 そして、フランク・ジョセフが勧める瞑想法というのはチャクラ(ヨガで重要視される体の中心に沿って七つあるとされるエネルギースポット。それぞれに対応した花弁のような形があるとも言われる)をイメージするということなので、これはマンダラを描くことと近いと言えるかも、と思いました。


 ユングは易の考え方の影響を受けてシンクロニシティということを考え付いたそうです。
 ユングはマンダラの現代的な解釈をした人で、私も彼のマンダラについての著書は読みました。でも、その文章は世界各地の神話やキリスト教、錬金術といったさまざまな知識の引用が多く読みにくかったです。
 とはいっても、ユングの重要視するマンダラやシンクロニシティは私にとってかなり興味深いことなので、機会があったらユングのシンクロニシティについての本も読んでみたいです。



 私のシンクロニシティは起きやすい時期があるみたいで、最近はあまり起きていません。
 またシンクロニシティは良いことばかりで起きるものではないそうです。
 悪いことが続く場合もシンクロニシティと考えられるということなのですが、私の家族に昨年末悪いことが立て続けに起きたのは、もしかするとその悪いシンクロニシティだったのかもしれません。
 何しろ1ヶ月くらいの間に、家族が二人骨折するわ、不注意で他人を骨折させてしまうことがあるわ、通りがかりの車が家の塀に突っ込んでくるわ、とあまりの事にあきれるほどでした。
 こんなに悪いことが続く原因って何だろうと考えましたが、よく分かりません。でも、まあ今は最悪のときだから、ここを過ぎれば何とか運も上向くだろう、とポジティブにとらえ、何とかその流れは断ち切れました。
 全くあんな悪いことが続くシンクロニシティがあるなら、良いことばかり起きるパターンも来ないかな、と思ってしまいました。
 ――と、今書いた「良いことばかり続くシンクロニシティ」という考えはふと思いついたことですが、この「ふと思い付く」というのがシンクロニシティにとって大事なので、もしかしたらそんなことが起きるかもと、脳天気な期待をしながらこの記事を終わりにします。
 




プロフィール

Author:まやと
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