この前、母親が「目がショボショボして見えづらいから眼医者に行くつもり」と言うので、目のまわりの押して痛むところをよくほぐしてみたら、と勧めました。押すとあちこち痛いところがあり、念入りにほぐし続けると、かなりスッキリして見やすくなったと言います。
 目のまわりのコリによって血流が悪くなり、見づらくなったりするから、それをよくほぐすといい、ということをアドバイスしました。
 その後、眼医者に行った様子もないので、おそらく見えにくさは軽快したのでしょう。

 まあ、母親は70近いですから、白内障とかの眼の病気の可能性もあるかもしれません。でも、つい最近に眼鏡を作ると眼科医でいろいろ検査したので、そうった病気で見えにくいということでもないはずです。
 もし、あのまま眼医者に行っても、効果があるかわからない目薬を出されるだけだったでしょう。そして、医者は目のまわりのコリをほぐしてみたら、なんていうことは決して言わないはずです。
 ふつう体に不調を感じると医者に見せればいいと思いがちですが、すぐに処置しなくてはならない重い症状を除けば、たいていの不調というのは病院に行かなくても、このようにいろいろ対処できると私は思っています。



 今月の文芸春秋5月号は、「食と薬の常識が変わった」というタイトルでさまざまな医学の最新事情について特集しています。
 その中の記事で「チュージング・ワイズリー(賢い選択)」という、アメリカで進められている運動について書かれたものがありました。
 これは一般の人が過剰な医療を受けないようにする指針を示す運動で、かなり大きなものになっているそうです。アメリカの70以上のさまざまな医学学会が最新の調査・研究で分かった不必要な治療・検査についての情報を発表しています。
 「ふだん健康な人は定期的な健康診断を受ける必要ない」「75才以上の人はコレステロール低下薬は飲まないほうがいい」といったことが450項目ほどあり、日本で広く行われているような治療法、検査についても効果が疑わしいとしているものがかなりあります。
 最近の日本でもこういった「薬はあまり飲まないようにする」「抗がん剤は使わないほうがいい」といったことが書かれた雑誌や本などをよく目にして、それについて論争があったりします。

 日本の場合、医学界の主流の人たちは薬や検査の有効性を主張していますが、アメリカの「チュージング・ワイズリー」の場合は、心臓学会とか小児科学会といったそれぞれの専門分野の権威の側が、そういった主張を取りまとめているところが大きな違いでしょう。
 また文芸春秋の記事によると、日本の医療は対症療法的な治療ということばかり考えているが、欧米の医学は治療・検査の有効性を統計的に調べて、病気の予防や健康のあり方を考える疫学を重要視していて、日本の医学の考え方よりも進んでいる面があるそうです。

 やはり日本の医療の薬の飲みすぎや、検査のしすぎといったことはかなり問題と言えるのかもしれません。検査して薬をもらえば安心と思う患者も多いのでしょうが、こういったことは病院の経営や製薬会社の利益のために行われているということもあると思われます。
 薬で症状を抑えても根本的に治らないことは多く、飲み続けることで薬が効かなくなる、副作用が出る、体に負担がかかる、といったことがあります。また、CTやレントゲン、胃のバリウム検査といったものを行うと多量の放射線を浴びて発がんのリスクが高まりますし、日本で行われるガン検診も世界的にその有効性が疑問視されて行われていないものがあるそうです。

 文芸春秋の他の記事では糖尿病になってインスリン治療を勧められたけど、食事改善と運動で血糖値以外のさまざまな数値も改善したという、国立がんセンターの元研究者の医師の話がでていました。
 日本では病気になったらとにかく薬物治療を受けるのが一番だという風潮がありますが、この医師のように食事・運動で良くなることは多くあります。だから医者も薬を勧めるだけでなく、薬なしでも病気を改善できるということをもっと広めるようになってほしいものです。



 最近では厚生労働省も、「ウィルスによって起きる風邪に抗生物質を使用しないように」といった薬の過剰投与抑制の通達を出したりしました。
 しかし、欧米ではインフルエンザは風邪の一種とみなされ、薬を飲まずに寝ているように言われるそうですが、日本はインフルエンザに薬としてタミフルを処方して、その使用量が世界の流通量の7割になっているというように、とにかく日本では薬を使いすぎています。

 薬の過剰使用の例の一つとして、精神科での抗うつ薬などの処方の問題があります。
 「うつは病は心の風邪」といったフレーズで、気分の落ちこんだ人が精神科を受診しやすくする運動がひと昔前から行われ、うつ病と診断される患者の数が増えました。
 うつ病と診断されると間違いなく新型抗うつ薬(SSRI)を処方されるのですが、この薬がとても危険と言われています。
 副作用が非常に強く、依存性があるといった問題があって、かえって症状を悪化させてしまい、さらにたくさんの薬をいつまでも飲まされる、ということになってしまいます。そして、何種類もの薬を長期間使用するというのは、日本以外ではあまり行われないことだそうです。
 この薬が安易に処方された結果、薬の副作用で苦しい思いをしている人が多くなっています。
 私のまわりでもこれを飲んで、全く起きられなくなって寝たきりみたいになる、妄想がひどくなっていきなり家を買う契約をしようとした、おとなしい人がいきなり家出してしまった、ということもありました。
 これはとても恐ろしい薬なので、医者に飲めと言われても最初から拒否するようにして、今飲んでいる人もなるべく止めるようにしたほうがいいと思います。(長期間SSRIを使用してる人が減薬や断薬する場合は注意が必要です)

 あと、この前新聞で知ったのですが、ある調査によると、日本では知的障害のある子どもに統合失調症の治療薬の抗精神病薬が処方されているということです。
 6~11才には11%、12~14才は19.5%、15~17才では27%、と年齢が上がるにつれ割合が上がり、処方された子どもの半数が長期間にわたり薬を飲んでいるということです。
 新聞の記事には、抗精神病薬の長期間使用は体重増加などの副作用のリスクがあると書かれていましたが、この薬も依存性や強い副作用があるとされるものです。2種類以上の薬を飲む子供も7%に上がり、長期間の服用というのはたぶんずっと飲ませ続けているということでしょう。
 脳へ危険な作用があると考えられる薬を、まだ脳が発達段階にある子どもに飲ませるというのは本当にひどい話だと思います。
 このようにデタラメな処方をされれば、子どもの脳はダメージを負って一生薬を使わなければならないようになってしまいます。



 昔、イスラエルで医師がストライキして診察をしなかったら、患者の死亡率が下がったなんていう話もありますが、医者の行う治療というのは私たちの体への負担になるものが多いのでしょう。したがって、ちょっと具合が悪いからと言って医者に行ったり、薬を飲んだりすることは、かえって健康を遠ざける結果になりかねません。
 高齢化による医療費の増加という問題もありますから、過剰な治療で成り立つ日本の医療の仕組みは変わるべきだと思います。
 しかし、私たちも医者のいうことをただ従順にきくだけでなく、「チュージング・ワイズリー」などのさまざまな情報にふれ、自らに健康を守るための意識を高める必要があります。(このブログでも「私的対策」のカテゴリーで自分でできることについていろいろ紹介してます)
 病院に行かなければならない病気・症状ももちろんありますが、ふだんから自分の健康に気をつけて安易に薬を飲んだり、病院に行ったりしないほうが身のためだと私は思います。
 胃もたれにキャベツを食べるとか、便秘対策によく歩くとか、薬に頼らなくてもできることはたくさんあります。
 病気を治すのは薬ではなく私たちの体に備わる自然治癒力です。



 最後にドイツの笑い話を一つ。

医者「いやー、早く来てよかったですよ」
患者は驚いた。
「そんなに深刻な状態なのですか?」
「いや、一日遅かったら自然に治っているところでした」  






 家で取っている地方新聞に子どもの詩を掲載するコーナーがあり、楽しみに読んでいた時期がありました。
 文学作品としての詩は谷川俊太郎さんや、まどみちおさんの詩が面白いなと思ったことがあるくらいで、あまり読んだことはありません。詩に限らず短歌や俳句の味わいも良く理解できないほうなので、私はそういったことへのセンスがないのでしょう。
 しかし、子どもの詩はとてもわかりやすく、直接心に通じるところがあります。
 とにかく発想がおもしろいですし、大人が心動かされる感性を子どもの書く詩は示してくれます。
 

 家で読んでる地方紙で見たものにはこんな詩がありました。

  
   さか上がり

  地面をけって
  回ってみよう
  さかさになると
  いつもちがう
  世界が
  広がっている

 
 
   空

  空は毎日表情を変えている

  ほら、今日は晴れで笑っている

  ほら、今日は雨で少し悲しそう
  すごいなぁ
  すごいなぁ


  
   さくら

  さくらのはなびらは
  かぜにとばされて
  どこまでいくのかな
  わたしのてのひらにとまった
  ハートのかたちだね
  はなびらにそっといった


 逆上がりするたびに見える景色が違う、という鋭い観察眼にはハッとしてしまいます。
 そして、空を見て「すごいなぁ」と素直に感動することや、桜の花びらと心を通わせるなんてことは、大人が忘れてしまっている気持ちではないでしょうか。
 こんなかんじに子どもの詩にはセンスオブワンダー(さまざまな物事の神秘や不思議さに目を見はる感性)や、子どもらしい率直な心情がたくさんつまっています。
(しかし、大人は子どもが持つこういった心にあまり気づかないのではないでしょうか。そして最悪なのは、自分たちの型にはまったつまらない考えを押しつけて、子どもの感性を殺してしまっている場合が多いことです)
 
 
 毎週楽しみだった詩のコーナーなんですが、最近はなぜかありきたりな作品が多くなって読まなくなってしまいました。
 ゲームやスマホの影響で、外遊びをしなくなっている子どもの創造性が低下してるのでしょうか。でも、読売新聞に出てる子ども詩は面白いものがまだ出ているみたいですから、そんなこと無いとは思っています。


 ここから私が「おひさまのかけら」(川崎洋編 中央公論新社)という本とネットで見つけて好きになった子ども詩を紹介します。
 たくさん載せるけれど、どれも味わい深い作品なので最後まで読んでいただけたらと思います。(本来の縦書きで紹介できないのがちょっと残念ですが・・)



 子ども詩にはユーモアあふれる作品が多いです。子ども達はいたって真面目に書いているのでしょうが、何とも言えないかわいらしさで読む方をニッコリさせてくれます。

 
   ねこやなぎ

  ねこやなぎって
  とりさんのおもちゃなんだよ
  ほんもののねこさんにさわると
  とりさんドキドキしちゃうでしょ
  だからねこやなぎをさわって
  ねこさんってこんなかなって
  かんがえながらあそぶんだよ



   ゴジラ 

  ゴジラって
  口から
  火をふくから
  きっと
  歯がしみるね
 

 
   かぶとむし
 
  すずむしみたいに
  なかないけど
  かぶとむしは
  こころのなかで
  どすこいって
  いっているんだよ



   せんせいがおこったら

  せんせいがおこると
  ガラスがこわれ
  じめんがこわれ
  ちきゅうがばくはつし
  うちゅうもばくはつし
  このよはおわる
  みんなが
  しぬ

 

   おとうちゃん大好き

  おとうちゃんは
  カッコイイなあ
  ぼく おとうちゃんに
  にているよね
  大きくなると
  もっとにてくる?
  ぼくも
  おとうちゃんみたいに
  はげるといいなぁ



 ありきたりな知識に染まってない子どもはさまざまな事を不思議に思い、哲学的にとらえもします。


   鳥

  地面に歩いてる鳥をみていたら
  「スッ」
  と羽を広げて飛んで行った
  私が頑張ってもできないことを
  一秒で一瞬でやってしまった
  何気ない風景が 
  貴重な一瞬に見えた

 
 
   けしゴム

  自分が書きちがえたのでもないが
  いそいそと消す
  自分が書いた嘘でもないが
  いそいそと消す
  自分が汚した汚れでもないが
  いそいそと消す

  そして消すたびに
  けっきょく自分がちびていって
  消えてなくてなってしまう
 
  いそいそと いそいそと

  だたしいと思ったことだけを
  ほんとうと思ったことだけを
  うつくしいと思ったことだけを
  自分の代わりのように
  残しておいて



   さんすう

  ぼくが
  ひいたかずは
  どこへいったの?

  ぼくがたしたかずは 
  どこからきたの?

  四次元空間からかな?
  それとも
  じめんの中からかな?
 

 けしゴムの詩はネットで見つけたのですが、本当に子どもが書いたのかな、と思ってしまうほど、作品としての完成度が高くて驚きました。
 さんすうの詩の哲学的ともいえる問いは、哲学や科学の出発点になるものではないでしょうか。



 子どもの率直な心情があらわれてなんとも心に響いてくるこのような詩もあります。


   土

  がっこうのかえり
  ことりがしんでいました
  ぼくは
  おはかをつくってやりました
  土があってよかったです



   のらねこのミミちゃん

  今朝のらねこミミちゃんは 
  バイクの上にのって
  しっぽをまげて
  体が地めんにおちそうで
  お兄ちゃんがぼうでつっついても
  にげないでじっとしていた
  こおっている
  ミミちゃんの目はきれいだった
  茶色で黒目がなかった
  きっとすごくさむかったんだね
  もうにどと会えないね



   お母さんがまっている
 
  早く帰りたいな
  早く学校がおわらないかな
  きょうはお母さんが家にいるんだ
  お母さんがお休みなの  
  早く帰りの時間になってほしい
  家に帰ったらこういうんだ
  「お母さん ただいま」



 子供たちの詩いかがだったでしょうか。
 子ども詩に興味を持たれた方は、読売新聞にのったものを詩人の川崎洋さんや長田弘さんがそれぞれ選んだ詩集があるので読んでみてください。
 本に掲載されている詩は選ばれた良作ばかりですが、こういった詩は特別な子が書くというものではなく、大人が子どもの感性を大切に育めば、面白い詩を作りだすものだと私は思っています。



 子ども詩というと灰谷健次郎さんも子ども詩の指導者として有名でしたが、最後に灰谷さんの著書「せんせいけらいになれ」(角川文庫)から私がとても感動した詩を載せて終わります。
 これは女の子がおならについて書いた詩で下品と思われそうですが、とにかくユーモアがあってスケールの大きい、人の存在全てを包み込む人間賛歌のような詩です。


   おなら

  わたしがおとなだったら
  かんごふさんになって
  おならばっかりこきます
  びょうにんをしんさつしているときも
  おならをこきます
  かんじゃさんががまんしてたら 
  もっと もっと
  おならをこきます
  けっこんしても おならをこきます
  わたしのうんだ子どもにも
  おならをこかします
  うれしいときも
  おならをこきます
  おめでたいときも 
  おならをこいておいわいします
  わたしがいいことしてしぬと 
  みんなおはかにきて
  ほめてくれるでしょう
  そのときも
  おならをこいて 
  みんなをおどろかします
  かみさまにおこられても
  ぷーぷーおならをこいて
  ごまかしておきます







04 14
2017

はじめました。

 最近ツイッターをよく見る機会があり、今さらながらなのですが面白く感じて、私もやってみたくなりました。
 健康法とは関係ないことも含めて、つらつらつぶやきたいと思います。
 よかったら覗いてみてください。@mudoryoku

 どれくらい続けられるかな?




 今年は3月中に寒い日が続いて、三寒四温というかんじもほとんどしませんでした。私の住む地域ではそのため、桜の咲くのがかなり遅かったです。
 満開の桜を眺めていると、やっぱり春はいいなと思いますが、花粉症の人にとって春は一年で一番憂うつな季節かもしれません。目がかゆくてたまらなかったり、鼻水が出てティッシュが手放せなかったりという人も多いでしょう。
 私はひどい花粉症ではないですが、花粉が飛び始めるときに目がショボショボ変なかんじになったり、鼻水が多少出やすくなったりすることはあります。
 でも今年は3月中に寒かったため花粉の量が少ないのか、その症状も出ていません。

 
 花粉症になると鼻水が出るので、どうしても鼻をかむことが増えると思います。鼻水が出るのは花粉やウィルスを流しだすためですから、鼻水はすすり上げたりせずに、よくかんだほうがいいということです。(ちょっと話はずれますが、鼻をかむというのを漢字にすると「擤む」になるそうです)
 しかし、鼻ばかりかんでいたために耳が痛くなる経験をしたことのある人もいるかもしれません。
 鼻を強くかんだりすると、中耳に圧力がかかって耳が痛くなります。また強くかむと耳管にウィルスを含んだ鼻水が入り込むことがあり、そのために中耳炎になったりします。

 そういったことを避けるために、鼻は正しいかみ方をする必要があります。
 専門家によると、鼻をかむときは左右同時にではなく、片方ずつゆっくりと力まずにかむのがいいそうです。
 そして、私はこのことに加えて、上体を前かがみに倒しながら鼻をかむことをお勧めします。
 これは、30年以上前の子どもの頃にラジオで聞いた方法ですが、こうやってかむと耳が痛くなるのを防げます。

 また、あまりに鼻水がグズグズすると、思いきり鼻をかみたくなる時もあるはずです。
 そんなときも前かがみの姿勢だと、ある程度チーンと強くかんでも耳が痛くなりません。強くかむときは立ちあがって、上体をできるだけ前かがみにして片方ずつかみます。
 この方法を使っても、あまり極端に力を入れてかんだり、何度も強くかむと、耳がおかしくなると思うので注意が必要です。しかし、たまにスッキリさせるぶんには良い方法だと思います。


 私は子どもの頃、鼻をかむと耳が詰まったようになることが多く、困っていました。
 そんなときに車のラジオでこのやり方を聞いてさっそく試し、それ以来鼻をかむことから来る耳のトラブルとは無縁になりました。
 たぶん5才か6才くらいの小さいころだったと思うのですが、ラジオからとても良い情報が流れてきたと真剣に聞き止めたのを覚えています。
 

 鼻をかみすぎてよく耳がおかしくなるという人や、たまには強くかんで鼻をスッキリさせたいという人は一度お試しください。
 




 シンクロニシティという言葉は一般的にどれくらい知られているでしょうか。
 スポーツのシンクロ(ナイズドスイミング)は誰でも分かると思いますが、シンクロニシティについて知っている人はそれほど多くない気がします。
 シンクロニシティはスイスの心理学者ユングが提唱した概念で、「共時性」と訳されたりします。「意味のある偶然の一致」「複数の出来事を離れた場所で同時期に生起させる原理」という意味があるのですが、これは例えば虫の知らせといったものや、ある人のことを考えていたらその人から電話がくる、なんてことを指すものです。
 たぶんこういったことはシンクロニシティという言葉を知らなくても、誰もが多かれ少なかれ経験しているのではないでしょうか。


 私はこのシンクロニシティの経験がけっこうある方だと思っています。 
 シンクロニシティについての本を読むと、いろいろ劇的な出来事が書かれていたりしますが、私に起きるのはそんなに大したことではないです。でも小さなことがちょくちょく頻繁に起きる気はします。
 例えば、ある本を読んで、この著者はどんな顔をしているのだろう、と思うと、翌日の新聞にその人の顔写真の載った記事が出ていたり、あるタレントを見たいな、と思うと私の住むところの近くになぜか来たり、といったことがあったりします。
 ビタミンCは体に大切だな、なんて考えていたら知り合いがキウイをどっさりくれたり、たまたま買い物に行った店が年に数回のセールの日だったということが続いたり、といったこともありました。

 特に何かを知りたいな、と思うと何らかの形でその情報が私のところへ来ることは多いです。
 この前は、変わったパン屋を見かけて興味を持ったら、その店を紹介するテレビ番組を見るなんてこともありました。(いつもは見ることのない番組をたまたま見ていたときだったので変な感じでした)
 こういったことは、心理学の用語で「カラーバス効果」と呼ばれるものによって起きているのかもしれません。「カラーバス効果」は、気になっている物事があると、心がそれに関する情報を無意識的にキャッチしやすくなる、という現象です。
 
 しかし、それだけでは説明できないこともあります。
 以前、「秋」という字がうまく書けないな、と思ったことがありました。
 そして、それを思った少し後、私が家の居間を通り過ぎようとした時、ついていたテレビにふと目を向けると、親がザッピングしていた画面がちょうど、あるバラエティ番組でやっていた「秋」の字の上手な書き方というのを映しだしました。
 テレビで「秋」の字の書き方を放送するなんておそらくその時だけでしょうし、私がたまたま通り、親がそのチャンネルをリモコンで押すのが一致するのもありえない偶然なので、これには驚きました。(いったい何がこんな「忖度」を起こしてくれるのでしょうか!^^)
 こんなビックリなことはまれですが、知りたいことの答えが目の前に現れることはけっこうあるので、私は必要な情報は自動的に得られると、この頃は思うようになっています。

 ふと何かが欲しい、ということを思ったときに、それが運良く手に入ったり、安く売られていたりするのを見つけることもけっこうあります。
 まあ、そうはいっても、それに味をしめて意識的に欲の心から「○○が欲しい」と願った場合には、それは現れませんが・・
(でも一度、強く「お金があればなー」と思ったら、乗ったバスの中で分厚い財布が荷物棚に忘れられているのを見つけたことがあります。あの時は困ってバスの運転手に渡しました。でもあれは天の計らいだからもらってしまったほうが良かったのかな、とも後で思いました)



 最近の記事で我流のマンダラ制作法について書いてきましたが、自分としてはマンダラを描くことで心身や周りのさまざまな事柄が整って、こういったシンクロニシティが起きやすくなる、と思うところもあります。
 フランク・ジョセフというシンクロニシティの研究家の書いた本を読んだら、シンクロニシティは瞑想を行うと起きやすくなるということでした。ですからマンダラを描くことには瞑想と同じような効果があるのかもしれないです。 
 そして、フランク・ジョセフが勧める瞑想法というのはチャクラ(ヨガで重要視される体の中心に沿って七つあるとされるエネルギースポット。それぞれに対応した花弁のような形があるとも言われる)をイメージするということなので、これはマンダラを描くことと近いと言えるかも、と思いました。


 ユングは易の考え方の影響を受けてシンクロニシティということを考え付いたそうです。
 ユングはマンダラの現代的な解釈をした人で、私も彼のマンダラについての著書は読みました。でも、その文章は世界各地の神話やキリスト教、錬金術といったさまざまな知識の引用が多く読みにくかったです。
 とはいっても、ユングの重要視するマンダラやシンクロニシティは私にとってかなり興味深いことなので、機会があったらユングのシンクロニシティについての本も読んでみたいです。



 私のシンクロニシティは起きやすい時期があるみたいで、最近はあまり起きていません。
 またシンクロニシティは良いことばかりで起きるものではないそうです。
 悪いことが続く場合もシンクロニシティと考えられるということなのですが、私の家族に昨年末悪いことが立て続けに起きたのは、もしかするとその悪いシンクロニシティだったのかもしれません。
 何しろ1ヶ月くらいの間に、家族が二人骨折するわ、不注意で他人を骨折させてしまうことがあるわ、通りがかりの車が家の塀に突っ込んでくるわ、とあまりの事にあきれるほどでした。
 こんなに悪いことが続く原因って何だろうと考えましたが、よく分かりません。でも、まあ今は最悪のときだから、ここを過ぎれば何とか運も上向くだろう、とポジティブにとらえ、何とかその流れは断ち切れました。
 全くあんな悪いことが続くシンクロニシティがあるなら、良いことばかり起きるパターンも来ないかな、と思ってしまいました。
 ――と、今書いた「良いことばかり続くシンクロニシティ」という考えはふと思いついたことですが、この「ふと思い付く」というのがシンクロニシティにとって大事なので、もしかしたらそんなことが起きるかもと、脳天気な期待をしながらこの記事を終わりにします。
 




プロフィール

Author:まやと
努力なしで最大限の成果を得られる健康法を日々探求しています。趣味 野菜料理を作る 音楽を聴く
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