私は以前のブログで書きましたが、パニック障害だったことがあります。病院に行ったり、薬を飲むことが好きでない私は、自力で治す方法をいろいろ試して、なんとかパニック障害の症状を克服しました。
 学生時代から精神的に弱く、神経質なところがあり、それが病気につながったのだと思いますが、今でも性格の神経質なところはあまり変わらずに残っています。
 自分自身で神経質だなと思うところは、匂いや音に敏感なこと、内と外で着るものをきっちり分けること、運転中よそ見をしたときに人をひいてしまったのではと確認したくなることなどです。また、昔のことですが、体は何でもないのに何か悪い病気になっているのでは、と疑い困ったというときもありました。
 これらは昔のことであったり、コントロールできる程度の神経質さなので、今はそれで困っているということはありません。しかし、これらのことがエスカレートして、日常生活に支障をきたしてしまうまでになると、強迫性障害という精神疾患である疑いがあるそうです。
 強迫性障害は汚れが気になっていつまでも手を洗う、ガスの元栓や家の鍵が気になって何度も確認する、人を傷つけてしまうのではと考えて行動できなくなる、など多くの症状が特徴としてあります。
 私はたまたまパニック障害になりましたが、強迫性障害の要素も多く持っていますから、こちらになっていた可能性もあったかもしれません。

 パニック障害や強迫性障害も含めたさまざまな精神疾患は、境界があいまいでつながっているという説があります。私はこの説は正しいところがあると思っています。多くの精神疾患はいろいろな症状が現れますが、原因は結局同じところから来ているため、その対処法も同じものになるのかもしれません。
 それゆえ、パニック障害を克服した私の考え方も強迫性障害の回復の助けになるかもと考え、今回の記事を書いてみることにしました。
 症状で悩んでいる人の参考に多少でもなれればと思っています。

 この記事を書く前に、強迫性障害について少し詳しく知ろうと何冊か本を読んでみました。
 手を何時間も洗ったり、確認のしすぎで外出できなくなったりと、実際に苦しんでいる人がいることを知ると、本当につらいだろうなと思います。
 治療法としては、パニック障害と同じく、薬物療法と曝露法(問題に少しずつ直面して慣れていく)などの認知行動療法が主なものみたいです。
 強迫性障害について書かれたほとんどの本では,、知行動療法が勧められていますが、病院で行われる治療は投薬中心ということが多いようです。
 薬も必要な場合もあるかもしれません。しかし、治療に主に使われるSSRI(私は一度も飲んだことがありませんが)は、副作用や依存性があってあまり良い薬ではないですから、薬を飲むだけという治療は避けた方がいいように思えます。
 やはり治すためには、自分なりにでも認知行動療法に取り組んだ方が効果的でしょう。

 強迫性障害を発症する大きな原因は、脳の一部の機能が正常に働かないためで、生育環境や性格は関係ないと現在の精神医学では考えられているみたいだけれど、これは本当にそうなのでしょうか?「原因は脳の機能異常だから薬を飲めば治る」と薬をたくさん売りたい側の論理でそう言っているのでは、と極端な薬嫌いの私などは疑ってしまいます。
 実際には脳の機能障害も含めたさまざまな要因から発症するのでしょうが、大きな原因として幼少期の育てられ方の問題があると私は思います。
 この問題からくる感情のもつれが解消されずに残ることで、いつも不安を抱え、さまざまな生きづらさを感じるようになる。そういった人が過剰なストレスを受けると精神疾患につながっていく、ということではないでしょうか。(ストレスも精神疾患をもたらす原因なので、生活の中でストレスになっていることを見つけて解消することは大切です)

 幼少期にありのままの欲求・感情を認められずに育てられると、自分自身をあまり肯定的に見ることのできない人になります。そして、強迫性障害の人は自分を認めてもらえなかった上に、いつでも物事をちゃんとやらなくてはいけない、と言われて育ってきたと思います。
 そのため(たいていの人はいろんな失敗をするものですが)、何事も失敗してはいけない、と鍵や忘れ物などを何度も確認してしまうようになるのだと思います。
 また、あるがままでなく、いい子でいなければ認められないという風に育てられると、自分の存在が希薄で不安定なものになってしまいます。
 そうなったときに、自らの存在を確かなものにするために、「自分」と「他のもの・外の汚いもの」、「自分から見て正しく許されるもの・考え」と「そうでないもの・考え」を厳密に区別するようになる。他のものから切り離した「自分」を作ることが、自分の薄れがちな存在を確かめるための手段になっていきます。
 しかし、この存在感はありのままの自分の肯定から来ていないので、壊れやすいものです。だからもし、「自分」と「他のもの」を分けることによって存在確認を続けようとするなら、それは必然的にエスカレートしていかざるを得ません。
 「自分」と分けられたもの、他人・虫・土などが汚く危険かといえば(排泄物や実際の汚れは別として)、そんなことはない場合が多いでしょう。この汚れが本当のものでなく、自らの考えから生まれていることは、強迫性障害の人も理解していると思います。(ゴキブリだって現代では特別害があるわけではないそうです)
 ですから、それらのものを、「汚い」「嫌だ」「許せない」と「自分」からの見方だけで考えるのは、実際は幼く自己中心的なことではないでしょうか。自分の見方だけがすべてでは、さまざまな物事や他人の存在・気持ちへの理解、共感ができなくなってしまいます。
 これは症状に苦しんでいる人に言いづらいことですが、頭の中が「自分から見てどうだ」ということばかりなのは(自戒の意味も込めてます)、少し考えるべきところではないでしょうか。
 自他を極端に区別して自分にばかりとらわれるのは、子どもっぽい心の表れです。
 この子どもの心が残ったままなのはどうしてかというと、幼少期の問題、子どもらしい心を認められずに育てられたから、ということにやはり行き着くのではないでしょうか。
 この根本にある子どもっぽさが十分満たされて育てられれば、人は自然と成長します。しかし、そうではなく不本意ながらいい子でいなければならなかったりすると、いつまでも聞き分けのない子どもの心を残したままになってしまうでしょう。
 ですから、強迫性障害克服のためにはこの心・存在の満たされない部分をどう回復するか、ということが大事になってきます。
 しかし、このことは簡単ではなく、幼少期を自分の思うようにやり直すわけにはいかないですし(SAT療法というものもありますが)、自らの存在をありのままに受け止めてくれる人が現れるとは限りません。親にいたずらに反抗するのはどうかと思いますが、気持ちをぶつけることもあるいは必要かもしれません。また人との関係や自分の心を見つめることによる気づきも、自らを成長させてくれるでしょう。
 それでも幼少期に形作られた心の在り方を変えるのは難しいことです。しかし、多くの精神疾患の原因はここにあります。
 だから、回復するためにはこのことについて考えるべきだ、ということは心に止めておいた方がいいと思います。

 (次回に続きます)


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