(前回からの続き)

 テレビで潔癖症の芸能人が集まり、自分の潔癖ぶりについて語り合うという番組を見たことがあります。
 その中には日常生活に支障がありそうな、強迫性障害の症状ではないか、と思わせる細かいこだわりを持っている人も何人かいました。しかし、その人たちは自らに問題があるとは考えず、強迫性障害の人のように強迫行為を繰り返して悩むということもないようでした。こういった自分の行き過ぎた潔癖症を肯定できる人を、精神医学では強迫性パーソナリティ障害と呼ぶそうです。
 強迫性障害と強迫性パーソナリティ障害は潔癖なこだわりを持つ点では似ています。しかし、パーソナリティ障害は、こだわりによって悩んだり行動できなくなるといったことはありません。そして、本人はそのこだわりを望ましいことと考えるので、精神的には安定していますが、周囲の人が悩まされることがあるということです。
 一方、強迫性障害は、自らの潔癖な行動や確認などの強迫行為を望ましいこととは考えず、それを行うのは嫌だけれどやめられない、といった場合をそう呼ぶそうです。

 前回の記事で、希薄な自分の存在を確認するために行う、「自分」と「他のもの」を分ける行いが、強迫行為につながるということを書きました。
 この自他を分ける行いは、自らの意識をいたずらに大きくさせるのみで、存在を安定させることはできません。そうすると、自らを安定させるために、さらに物事を厳密に分けるようになって強迫行為が生まれます。そして、これがさらなる不安定を招いて悪循環になり、強迫行為がエスカレートしていきます。
 症状がひどくなると当然、強迫行為をやめたくなりますが、それをやめてしまうと今度は心の奥で、自分の存在を失ってしまうことに対する恐怖が生まれます。この恐怖は潜在意識のなかにあって表面的な意識より強いものですから、強迫行為をやめることは難しくなるのだと思います。

 精神疾患の症状を抑えるために、薬は必要なときもあるかもしれません。私はそれらの薬をあまり信用しないので、薬を飲むだけという強迫性障害の治療は避けるべきだと考えます。
 治療するには、強迫性障害について書かれた多くの本が勧めているように、認知行動療法をメインにした方がやはり良いと思います。自分の心のあり方を見つめることや、苦手な状況や強迫行為行わないことに少しずつ慣れていく曝露療法などの認知行動療法によって、症状はかなりコントロールできるようになると言われています。
 ですから、これは今現在の強迫性障害の治療法としては最適なものだと思われますが、この治療でも完全に強迫行為をなくすことは難しいようです。また認知行動療法を行っても症状が改善しないこともあるかもしれません。
 こういう場合、別の角度からのアプローチとして、強迫行為を気の済むまで行ってみるのもよいのでは、と私は思います。
 症状に悩む人は、強迫行為が起きると「またか」と、うんざりすると思いますが、さまざまな強迫行為は自分の心の奥にある何かが望んでいることでもあります。
 人は心と体があるから生きているわけですが、私たちはせわしない日常の中で、その心身の発する声に気づかないことが多くなっています。
 ましてや、心の欲することが強迫行為だったら、まじめな性格が多いといわれる強迫性障害の人は、それを無駄で自らに必要ないものと考えるでしょう。
 認知行動療法ではその欲求をなるべく無視することで治療します。しかし、心の奥にあるものにとことん付き合って、心が強迫行為を行うこと自体に飽きさせるようにするのも一つの方法ではないでしょうか。
 私も確認したくなる癖があると前回の記事で書きました。でもそれがエスカレートしないのは、心身が欲することを無駄なおかしいこととは思わず、気のすむまで行うからではないかと考えています。いろいろと気のすむまで確認しますし、内と外で着るものを分ける潔癖な行動を制限しないようにしています。
 潔癖なこだわりを我慢するのは、無理なダイエットがリバウンドという結果に終わるのと同じように、問題をさらにややこしくしてしまうことにつながるのではないでしょうか。そして、冒頭に書いた潔癖症の芸能人も、自らの気持ちを抑えず肯定しているから、潔癖さが強迫行為になりにくいのかもしれません。
 強迫行為を「やってはいけない悪いこと」と考え、それを止めようとして葛藤、失望することは多いと思います。しかし、心は葛藤や悩みを持つとどうしても良くない方向へ行ってしまいがちです。
 ですから、初めからやめようと考えず、気持ちが納得するまで行ったほうが問題が大きくなりにくく、症状もコントロールしやすくなると私は思います。

 強迫性障害は希薄な存在感や、自他を厳密に分ける幼い心から来ていると私は考えていますが、その希薄な存在を満たしたり、幼い心が成長していくためには、心のまさに子どもっぽい欲求を認めることも大切なのかもしれません。
 自分に肯定感を持ちづらい人にとって、強迫行為を否定しないことは、自分自身を大事にすることにつながるはずです。
 強迫行為を起こす心の中の子どもっぽい部分も、私たち自身の一部です。そして、世の中に私たちの心身より大切な物事はそれほどないと思います。時間の無駄と思わず、自らの欲求に一度とことん付きあってみてはどうでしょうか。
 また、一度強迫行為を徹底的に気のすむまでやろうとすれば、心はあまのじゃくなところがあるから、かえってやりたくなくなるということも起きるかもしれません。

 私は強迫性障害の専門家ではありません。
 ですから、今回言ったことは参考にしてもらいたい一つの考え方としてとらえてください。症状の重い方や、読んで違和感を持った方には適さないと思います。
 でも、症状が初期の場合や、病院で治療を受けてもなかなか良くならないとき、またこの考えに納得した方には効果があるかもしれません。慎重さが必要だと思いますが、良かったらお試しください。

 (次回に続きます)


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