今回はこのタイトルで、心のしくみや動きについて私がふだんから考えていることを書いてみたいと思います。
 大きく分けて二つのことを書くつもりです。
 まず一つは、私たちの心の自己中心性やネガティブな性質について。そして、その自己中心性や、そこから生じる葛藤・問題をいかに克服していくかということについてです。
 二つめは、人がなぜ病的な独り言を言うようになったり、幻聴が聞こえるようになるかについて私なりの考えを書いてみます。
 いつもの記事のように独断的な考えが多いかもしれませんが、心についての何らかの新しい見方を読んでもらった人に提供できたらと考えています。


 静かに黙って心を観察すると、私たちの意思とは関係なく「思考」が現れては流れ、消えていくのが分かると思います。(ここで使う「思考」という言葉は、自分から考える意味での「思考」とは異なります。感情を伴うことも多いこの心に自然と浮かんでくるものを、思い、考え、想念、思念などどう呼ぶか迷いましたが、このブログでは「思考」と呼ぶようにします)
 この思考は、私たちのいろいろな制約や善悪の区別を持たない自由なもので、人の本能とつながる心の奥からの本音といえるものでしょう。
 また歌やテレビCMのフレーズが繰り返し頭に浮かぶことがあるように、思考の内容は雑多でたわいもないものということもあるかもしれません。

 いつでも休むことなく現れるこの思考を、私たちは自分の気に入るものと、嫌いなものに分けることが多いと思います。気分を良くさせてくれる思考や何でもないものはそのまま受け入れ、嫌な気持ちを起こさせる思考は否定されるべきものになります。私たちにとって思考は自らに従うべき低いものなのです。
 このように、受け入れる思考とそうでないものに区別する意識を、私たちは自分の本当の実体と考えています。
 そして、この意識で心の中だけでなく、外の世界で起きることについても判断し、物事を決めながら生活していると思っているはずです。(思っているはずと書くのは、脳科学では、人が意識で何かするのを決めるよりも前に、そのことが脳で無意識に決められている、と言われているからです。私たちは、脳があらかじめ決めたことを、「自ら考えている」と思っているだけの存在かもしれないのですが、このことは今回の話とは少し離れているのでここまでにしておきます)
 自分の実体と考えている意識が話し、考えている内容をここでは「内言」と呼びたいと思います。内言は、思考や現実を肯定・否定したりしながら常に心の中で話されています。
 人の心は、無意識に現れる思考と、意識的に話される内言の内容で構成されていっぱいになっています。これらの言葉が、心の中で話されていない事はほとんどないと言ってもいいでしょう。

 自然に浮かんでくる思考の中には、否定しようとしてもどうしても拭えずつきまとうものや、自己中心的なもの、暴力的なものなどがあります。
 実行するのが難しく、行えば犯罪になるような思い・欲求が現れる経験は、誰にもあると思います。
 これらの欲求は、真剣に取り合わなかったり、別の形に置きかえられたりして、ふつうは自然と消えていきます。
 そして、犯罪になるような欲求に対しては、社会的な刑罰という抑止力が働いています。
 また、そういった欲求に従えば、多くの人と自らを傷つける結果になるということを知っているので、たいていの人は罪になるような欲求を実行しないのだと思います。

 一方で、犯罪になるようなものではありませんが、私たちを悩ませる、やっかいな思考も数多くあります。
 ネガティブなものと考えられる感情、嫉妬や憎しみ、欲深さ、怒り、暴力的な感情、自信のなさ、気弱さ、孤独感など・・これらは誰もが感じるものでしょう。
 これらのネガティブな感情を伴った思考が現れたとき、私たちはこれらを抑え、否定しようとすることが多いのではないでしょうか。
 思考を善悪で区別し、コントロールしたい意識は、どうしてもネガティブなものを認められません。(この自らを区別しようとすること自体が利己的なのですが)
 「こんな考えを持ってはいけない」「そんな自分であってはいけない」「みっともない。恥ずかしい」などの内言ともに、嫌な気持ちをもたらすネガティブな思考を持ってない理想的な自分であろうと努めます。
 しかし、理想の姿になろうとする意識的な力より、心の奥からの本心とともに生まれてくる思考のほうが、より強い力をもっています。ネガティブな思考をいらないものとして排除し、心を変えようとすることは、誰もが経験するように、簡単なことではありません。 
 ありのままの本能的・自己中心的な心(思考)と、理想(自己意識・社会規範)の争いは誰の中にもあり、昔から道徳・宗教でその解決法を延々と考えられてきたテーマでもあります。
 この勝つのが難しい争いが、悩みや葛藤を生みだす原因となります。そして、いつまでも続く悩み・葛藤は、私たちの活力をすり減らすことにつながっていきます。

 
 自ら悩んで元気をなくすくらいなら、理想など持たずに、ありのままの本音を肯定した方が生きやすいとも考えられます。
 そして現代は、自己中心性をなくそうとする理想を持つよりも、自己中心的な欲求・感情に従って生きることの方が正しいと考える人が多くなってきていると言えるかもしれません。そういった人が増えた社会で生活すると、人の気持ちを思いやることが少なくなって、自己中心的な感情や憎しみ、欲深さを持つことが、だんだん当り前になってしまうのではないでしょうか。
 利己的・暴力的な感情を肯定することは、結果的には自らに苦しみをもたらすことにつながると思います。しかし、人がこのことに気づかずにいると、自分さえよければいいという感情・言動は、止まることなく社会にまきちらされ、増殖し続けます。

 現代の社会にエゴイスティックな感情があふれてないことを願いますが、現実には人を傷つける出来事がとても多く見られます。
 いじめや青少年による陰惨な事件、ストーカー行為、DV,児童虐待、パワハラ、マタハラ、ブラック企業にオレオレ詐欺など、社会のモラルの低下を表わす問題はたくさんあります。人の心が荒んで生きにくい世の中になっていることは確かでしょう。
 こういったモラルの低下を立て直すためにはまず教育、と政治は道徳教育の強化を行おうとしています。しかし、道徳教育は政治が、お上をあれこれ批判しない人間を作る、という裏の目的で導入されようとしているものなので、成功することはまずないと言えるでしょう。
 政治が社会を思いやりあるのものにするためには、自己中心性をもたらしている大人の社会の問題に真剣に取り組むのが先だと思いますが、政治自体がこの問題の元凶となっている面もあります。

 自ら心を理想的なものに変えるのがうまくいかないように、社会的に罰則や規制を強めたり、啓発・道徳教育を行ったりしたとしても、外側からありのままの心を変化させるのはとても難しいことでしょう。
 政治的・宗教的な洗脳のように、徹底して心を変えてしまおうとしても、ありのままの心は残り、洗脳や厳しい規制を必ず覆そうとします。

 (次回に続きます)


 
  
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