私は昔から細かいことをいろいろ気にする神経質なタイプでした。
 そのためだと思いますが、若いとき自分が病気かもしれない、ということが異常に気になる心気症になったことがあります。
 誰でも体調が悪かったり、どこか痛かったりすれば気になるとは思います。でも、ちょっとした事ならほうっておき、そのままにしていれば良くなる場合が多いでしょう。少したってそれらが良くならないときは、病院で診てもらい、何かの病気なら治療します。
 そして、診察してもらい、なんでもないと言われると、じゃあ良かった、と安心すると思います。
 心気症は、病院で全く異常はないと言われても、それが信じられずに本当は何か重大な病気なのではないか、と気にしてしまう症状です。医者が病気を見落としているかもしれない、といくつもの病院に行ったりすることもあります。
 いつもさまざまな体の変化・症状を深刻に考えて、ほとんどが何でもないことなのですが、当人にとっては目の前が真っ暗になるような苦しみになってしまいます。 

 
 
 私も子どもの頃に、ちょっと心臓が痛かったり動悸がすると、心臓病ではないかと思ったり、中学生の頃、変なタンが出たりすると結核ではないかと病院に行ったりしました。
 それらは病院に行って、何でもないと分かり気にしなくないましたが、17才くらいのときに病気ではないか、というこの考えがひどくなり、とてもつらい時期がありました。
 立ちくらみがするのがおかしいとか、睾丸に小さな触ると痛いものがでている(これは誰にもあるということ)、トイレで大きい方をすると血がついている(肛門が切れただけ)、皮膚を軽くひっかくと赤くなるから白血病だとか、他にもいろいろあったのですが、次から次へと気にしていました。
 ちょっとしたことでも何か死ぬような病気では、とあれこれ想像をめぐらせ、家庭の医学みたいな本をずっと眺めていました。(今考えると他にやることがあるだろうと思ってしまいますが、本人にとっては深刻な問題だったのです)
 病院もいろいろ行きましたが、すべて何でもないと言われます。それでも自分では、何かおかしいことがあるに違いない、という考えにとりつかれていました。

 
 あるとき、そういう心気症の人をよく診てくれる先生がいるということを聞いて、診察してもらうことにしました。
 その先生の診療所に行くと、大勢の人が待合室にいました。小児科もやっている所なのか、小さい子もたくさんいてにぎやかでした。
 呼ばれて診察室に入ると、中年の穏やかな感じの女の先生です。
 私が、何か病気かもしれないので心配ですと言うと、じゃあ血液検査をするといろいろ判るからまず採血してみましょう、とその日は血を採っただけで終わりでした。
 数日後、不安な気持ちで再び行くと、その日はなぜか待合室にいる人が少なめでした。
 検査の結果を聞くと、やはり何でもないということです。
 それで安心できればいいのですが、不安に取りつかれている私は「立つとフラフラする」「皮膚をかくと異常に赤くなる」などと、いつも気にしていることを長々訴えました。
 すると先生は、フラフラするのは立ちくらみ、赤くなるのは神経質な人がなりやすい、とやさしく言ってくれました。(こういう親身なところから、心気症をよく診てくれる先生と評判になったのでしょう)
 そして、私の爪がピンク色なのを見て、「それだけ血行が良ければ大丈夫。健康のすぐれない人は白いですよ。少し体を動かすように水泳でもしてみたら」、とも言ってくれました。

 本当に良い先生で、そのアドバイスで心気症が良くなればいいのですが・・・
 しかし、私はそう言われても全く信じないほど疑り深くなっています。ですから、先生の話すのを聞きながら、「そんなはずはない。またここに来るか、違う病院を探そう」と考えているのだから困りものです。
 ところが、その根深い心気症がこの診察の数分後に起きたことで無くなっていきます。



 診察室を出て、待合室に戻ると患者は誰もいなくなっています。いるのは受付の若くてきれいな女の人と、その隣で何かしている若い看護婦さんでした。
 今はBGMを流す診療所が多いですが、そのときは無音だったと思います。本当にシーンとした静けさの中待合室に座っていると、さっき自分が話したことがそのままこの人たちに聞こえていたのでは、と思えてきました。
 病院の職員ですから患者の言動に対して馬鹿にするとかはないでしょうが、何かとても気まずく感じられました。ちょっと空気が重苦しかったので、私が言っていたことを若い女の人に聞かれて「この人は何を言っているのだろう」と思われたかもしれません。
 会計までの5分くらい物音一つしない静かさでした。
 そのなんとも言えない時間を過ごし、会計を済まして診療所を出ると、なぜか体を心配する気持ちが薄くなっている自分がいました。
 その後は今に至るまで自分が病気だろうか、と異常に気にすることはなくなりました。本当にそのときの出来事で、あっという間になくなってしまったように思えます。(まあ心気症は治ったのですが、神経質な気質はそのままで、それが後にパニック症につながりましたが)
 受付の女の人たちが私の話を聞いたかはわかりません。しかし、そのときの沈黙の中で、何か情けない自分を見せつけられたようで、どうにも恥ずかしくいたたまれなかったのでしょう。
 そういったありのままの自分の姿を知ったことから、体を心配しすぎる気持ちは霧が晴れるように消えたように思えます。


 この話は前回の記事で書いた、無言・イタズラ等の迷惑電話対策の話に通じるものがあると思っています。
 そこで言ったのは、迷惑電話がかかってきたら受話器を切らずに置いてしまい、相手に無音の状態を体験させて、自分のやっていることに向き合わさせる、ということです。私としては、今回書いた経験が迷惑電話対策にも使えると思い、前回そのことについて書きました。
 相手が無音・無反応な状態だと、目の前に鏡を置かれたように自分の姿をはっきり思い知らされます。
 そうやって、自分の変な姿やこだわりを客観視すると、それがとても嫌なものに見えて手放したくなり、考え方が変わるということが起きるのだと思います。



 心気症で悩んでいる人はけっこういて、この記事を読んでくれた中にもそういった方がいるかもしれません。
 今回私が書いたみたいに、憑き物が落ちるように治ることはなかなかないでしょうが、ありのままの自分の姿を見ることで、病気かもしれない、という考えに少しでもとらわれなくなるのは可能に思えます。
 ですから、心気症の方はよかったら次のことを試してみてください。
 いつも頭の中を駆け回っている、病気だろうか、病気になったら怖い、という考えを否定も肯定もすることなく黙って見つめます。
 こうやって心の中で何も言わずに、少し離れて自分を見るようにしていると、自分の頑なな考え・感情が変わっていくのを感じることができると思います。
 黙って自分を見るということには不思議な力があるので、これはとてもお勧めです。 



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