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 今回は私流のマンダラ制作について、それがどういった風に始まったかということや、15年ほど描いてきた中でマンダラがさまざま変化してきたということがあるので、それらについていろいろ書いてみたいと思います。
 

 私は17才くらいの頃から岡本太郎の本が好きになってよく読んでいました。
 芸術や人生について熱く語る太郎さんに惹かれて彼の作品をいろいろ見てまわったり、自分でも抽象的な絵を描いたりしていました。作品を展示スペースを借りて発表したこともあります。自分では面白いものを作っていたつもりでしたが、思い返すと若気の至りで、あまりたいした絵ではなかったと思います。
 ただそれらの絵で卵の抽象的なイメージとか、マンダラ的な構図の作品をよく描いていたということがあったので、無意識にマンダラを求めて絵を描いていたということもあったのかもしれません。
 芸術家を気どっていましたが、5~6年すると自分でもあまり手ごたえがなくなって、ほとんど描かなくなってしまいました。 

 そして、15年ほど前のこと、なんとなくいたずら書きをしたくなり、鉛筆で漫然と抽象的な形を描いていました。すると手が自然と何かの形を描き始めるのに気づきました。
 当時私は、体を自分の意志とは関係なく動かして歪みを整える自発動のやり方を見つけよく行っていたのですが、たぶんその時、自発動の感覚で鉛筆を動かしていたのだと思います。
 手が勝手に動きだしたので、「もしかしてこれを続けていけば、この先すごいピカソみたいな絵を描きだすのではないか」と思ってしまいました。そして、こうやっていると心にしっくりくる感じがして、とても楽しく引き込まれるように線が描けます。


 最初に描いたのはグチャグチャした線や、よく分からない変わった形のものだったと思います。
(このマンダラの描き方をやってみたいという人は、初めに手を動かした段階で思いがけないものを描いてしまい、それが自分の心の中の闇みたいに思えて嫌になるかもしれません。でもそれを続けていけば描くものは整っていくので、気にせずどんどん描いてみてください)

 その初めの段階の次には、一本引いた線のすぐ横に等間隔で同じような線を引いて、それを画面いっぱい描いていくということに熱中しだしました。
 この波紋のようなものを几帳面に描くことの後に始まったのは、腕も使った画面全体でやるなぐり書きです。
 そして、これを少しやっていると、動かしている腕がだんだん回転しだして、円をグルグル描きだすようになりました。(だいぶ昔のことですが、この時のことは忘れずにいます)
 それから今度は画面に一つ円を描いて、その中を分割して何か描いたりすることを始め、それがだんだん整ってきてマンダラの形が出てくるようになりました。

 この当時マンダラについての知識がどれくらいあったかは分かりませんが、何か面白そうなものが出てきたと、夢中になり次から次へと描いていきました。
 この時のマンダラはチベットの仏教寺院にある密教のマンダラに近くて、画面にたくさんの丸と四角が使われて、上下左右に門があるといった構図をしたものが多かったです。また今はそんなにやらないのですが、紙の中心をきっちり決めて強くシンメトリーを意識していたということもあります。
 
 この密教的なマンダラを描き続けていると、だんだん画面に濃密な気配が漂い始め、あるときその頂点ともいえる魔術的なマンダラができあがりました。
 かなり芸術的な作品だったのですが、これを含めて当時描いたものは何故かすべて捨ててしまい、ここでお見せできずとても残念に思っています。せめて一番すごかった一枚だけでも取っておけば良かったのですが。
 しかし、その完成度の高いマンダラを描いた後は、気持ちがはじけてしまったのか、緊張感のあるものが作れなくなり、次第にあまり描かなくなってしまいました。



 熱心に書かなくなってから数年ほどして(この間パニック障害になったりした)、無性にまたマンダラが描きたくなり、毎日テレビを見ながらだけど2時間くらい描くようになりました。
 この時初めに描いたのは混とんとしたもので、中心の点をまず描いたら、そこから何か出てくるように渦を巻きながららせん状に線を描いていきます。それからいろいろな形を描いた後、初めと逆のパターンで渦巻きながら中心に帰って行って描き終わるという風でした。
 これはあるゆるものの誕生と死を暗示しているような感じで、描いていて気持ちがとても落ちつくものだったということを覚えています。


 この描き方を少し続けた後に、今度は左手を使って描いてみたい、という気持ちになりました。
 慣れない左手を使いいろいろ書いていると、次第にフラクタル的なものを描きだしました。フラクタルというのは幾何学の言葉で、全体像と一部分が相似している構造の図形を指します。
 このフラクタルなマンダラからは描いたものが残っているので写真をのせていきます。

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(見づらくてすみません)

 この数年前に右手で描いていた密教的なマンダラもフラクタル的な要素を持っていましたが、これほど明らかではなかったです。
 この後フラクタルなものはなぜか全く描かなくなりました。左手を使い始めため、何か脳内で特別な変化が起きたのかもしれません。

 フラクタルと言えるか分かりませんが、こんなものを描いたこともあります。
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 ちょっと変わったものもお見せします。 

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 最後のガチャガチャした絵は、心に問題を抱える落ち着きのない子どもがよくこういったものを描くみたいです。
 


 フラクタルの次には同心円のものを描きだしました。

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 この頃になると右側は右手、左側は左手で描くようになりました。
 こうやって両手を使うというのはとても面白いことだと思います。右手と左手で描くことで右脳左脳を均等に刺激して、そのバランスを自ら整えているのかもしれないです。
 マンダラを描くとき左手も使うようになったことで、左手で字を書くことを始め、それが以前紹介した般若心経の写経をすることにつながりました。
 同心円を描いているとだんだん円の外側に放射状の線が現れてきて(冒頭のマンダラ)、その後徐々に中心からその線を引くようになりました。これは前回の記事で書いたように中心点から縦横に線を引き、その間を等角度にどんどん区切っていく形で描いていきます。

 初めはこんな風にシャーペンでかなり細かく念入りにかいています。

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 筆ペンを使っていたときもありました。

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  それまで円がなかったのだけれど、途中から円が現れてきました。

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 中心からすべてのものが放射状に現れるといた感じでしょうか。もうマンダラとは言えない形かもしれないです。
 この頃まで右側は右手、左側は左手描いていましたが、だんだん現在は右手左手で決まった側を描くといったことはなくなりました。

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 現在はこんなかんじで、画面全体を線で埋め尽くすことはなくなり、まばらで描き終えるようになっています。
 ここ数年はこの放射状が続いていて、この先なにか別の展開があるかは分からないです。ずっとこんな感じでいって、まばらなところがなくなるように描いていくのでは、という気はしています。
 マンダラを描いていて興味深く感じるのは、いつ描いても自然に現れていたマンダラが出てこなくなり、どうしてもグチャグチャしたものしか描けなくなる時があることです。
 こんなかんじです。

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 マンダラを描き続けて形が固まってくると、一度それを解体してまた新たに作り直そうという創造と破壊のような働きがあるのかもしれません。


 今思うと、岡本太郎のように人の心を揺さぶる芸術家にはなれませんでしたが、マンダラという絵画の一つの究極の形にふれることができ、これからもこの不思議で本質的なものを描き続けられるのは、私的にはまあそれなりに良かった、と言えるかもしれないです。
 そして、こうやってマンダラを描くことで、自分の心身だけでなく、私の周りのさまざまな事にも調和をもたらしている、と私は思っています。



 マンダラを描くことで心身や、画面上のマンダラが整ってきます。そうやって整うと、マンダラの最も重要な部分に思える中心にある点の奥に入っていき、さらに根源的なものに近づいていっているように感じます。中心の奥深くに入ると、そこには隠れていた歪みがあり、それをマンダラを描いて整えていくことで、根源的なものの力がより現れやすくなる、という感覚を私は持っています。 
 このことを通じてこの中心にある根源と関係を持つことには、言葉では言い表せない意味があると私は思っています。この意味はマンダラを描いて直接体験しなければ分からないと思うので、今回私が書いたことに興味を持たれた方は一度お試しください。
 やろうと思えば紙と鉛筆で今すぐこの不思議な動きを知ることができます。




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