今年は北朝鮮情勢が悪化した一年でした。
 ミサイル発射実験を繰り返し、核実験も行った北朝鮮政府は、アメリカ政府(大統領?)と挑発しあって、一触即発の状態となっています。
 もし、アメリカと北朝鮮の戦争が始まったら、日本も巻き込まれて、日本の領土にミサイルが飛んでくるという事態もありえます。
 ミサイルで攻撃されるなんて恐ろしいことですが、北朝鮮が「電磁パルス攻撃」を行うことも考えられるそうです。
 この「電磁パルス攻撃」は、直接ミサイルを撃ち込むのではなく、日本の上空で核爆発を起こし、それによって生じる電磁パルスと呼ばれる衝撃で、地上のあらゆる電子機器や発電所などの社会インフラの機能を破壊してしまうというものです。
 そうなると電力が供給されず、電子機器や車も使えなくなって、日本人の生活が江戸時代の頃のものに戻ってしまうと言われています。人力であらゆることを行い、生きるために自然に頼らなければならなくなるということでしょう。
 したがって、水道一つも使えない都市部は暮らせない場所になり、山奥の過疎の村が一番生活しやすくなるはずです。まさにサバイバルな原始生活になり、価値観の大逆転です。
 日本人が今の生活を送らなくなったら、いろんな汚染物質を排出しなくなって自然環境が良くなったり、希薄になっている現代の人間関係が回復したりするかも、なんてつまらない空想も私はしてしまいました。
 しかし、実際にこんなことが起きたら、食糧がなくなったり、感染症がまん延したりして一気に多数の人が死んでしまいます。
 また、電力が使えなくなると原発から出た放射性廃棄物の管理もできなくなり、メルトダウンが起きて大量の放射能が環境にバラまかれ、日本ばかりか地球そのものが放射能汚染されてしまいます。
 これは人間にとって本当に「ジ・エンド」の状況でしょう。
 こんな最悪の結末まで行くか分かりませんが、とにかく想像もつかない被害がでるのだから、日本にとって戦争なんて選択肢はあり得ないと思います。




 現代生活は電気製品なしでは成り立ちませんが、いま使えなくなって困るものとして多くの人がまず思い浮かべるのが、スマホやパソコンではないでしょうか。
 一日中スマホが手放せないスマホ依存の人が増えていますし、そこまで行かなくてもスマホ・パソコンを使うのが生活の欠かせない一部になっている人は多いはずです。
 スマホ・ネットの中で、さまざまな楽しみや情報取得、コミュニケーション、ショッピング等の快感を手っとり早く得られるため、少しの時間でさえ使いたくなるのでしょう。

 ネットが便利なのはいうまでもありません。
 でも、中年以上の人はそれがなかった生活も知っているので、使えないとしても我慢しやすいと思います。
 一方、生まれたときからネットがあった人たちにとって、スマホが使えないというのは考えもつかないことで、依存の強い人では不安になったり、健康に不調をきたす人もいるはずです。
 スマホを使うのは、ただの時間つぶしのような気もしますが、人によっては自分の一部というくらいにまでなっているのかもしれません。
 

 20代で一日3時間以上使う人が約4割いるというくらいスマホの依存傾向は強いですが、スマホ以外にも依存症になるものはアルコールやギャンブル、薬物などいろいろあります。
 そして、さまざまな娯楽やテレビ、ラジオ、ゲーム、読書、交友など世の中のあらゆることは基本的に暇つぶしであり、誰もがそれらに依存していると言えるのではないでしょうか。
 現代は依存できるものがあふれていて、その上に社会が成り立っているようなところもあります。
 多くの人は依存している物事を行えなかったり、禁止されたりすると、退屈したり、落ち着かなかったりすると思います。
 私も録画したテレビ番組を見るのが習慣になっていますが、この時間を全く持てなくなるというのは耐えられません。
 依存しているものが無くなると、誰でも程度の差はあれ動揺してしまいます。
 これは何故なのでしょう。

 私はその退屈して困る状態の先にさみしさがあり、そのさみしさに直面してしまうのが嫌なので依存対象を求めるのだと思っています。
 自らを忘れさせる依存対象を持たない自分。
 このありのままの自分に少しでも向き合ってしまうと、さみしさや満たされない想い、何一つ頼るものがない孤独に襲われるように感じてしまいます。
 そして、これらの感覚の先に、死を連想させる何もない無への恐怖もあると思います。
 この心の奥底は決して覗きたくない場所で、私たちのすぐそばにある恐ろしい深遠と言えるのではないでしょうか。
 誰だってそんな得体の知れない怖さに直面したくないので、社会が用意してくれるさまざまな楽しいことに目を向け依存するようになります。

(よく一人でいるとき、幽霊が出るかもしれないのを怖がる人がいます。
 これは一人で孤独や何もない無に向き合うよりはまだ幽霊の方がマシだ、と無意識に考えて怖がっているのではないでしょうか。
 ひとりで依存なしにいると現れる自分のありのままの姿は、それだけ見たくないものなのだと思います)
 


 たいてい人は一人でいるとき、頭の中でいろいろ考えを巡らせています。
 この思考のおしゃべりは個人だけのものでなく、他の人のものもつながって、目に見えない大きな流れを作っています。
 ネットやテレビ、メディアはその流れを具体的に形にしたものです。私たちの生活はこの流れと共に営まれていると思います。
 流れの中には生きるために必要なことや素晴らしいことも含まれていますが、本質的でない無駄なことや醜いこともたくさんあります。
 この思考の流れは、何もない無やさみしさ、孤独を抱えた自分から遠ざかったところにできるものです。
 そして、ありのままの姿に触れようとしないほど思考の流れへの依存が強まり、避ければ避けるほど依存がひどくなっていきます。


 現代のテクノロジーの爆発的な発達もこの依存傾向を強めます。
 ひと昔前には考えられなかったものがたくさん作りだされ、私たちは多くの恩恵を受けています。
 しかし、膨大な情報やさまざまな楽しみなど、現代社会が生み出すあらゆるものは、自分の姿を忘れさせる方向に私たちを導きます。
 現代社会は常に、何かする、何かを得る、何かになること、を私たちに促します。
 スマホやテレビ、気晴らしなどに取り囲まれ、何もなく退屈で一人いる時間を持つことはありません。
 そして、多くの人が心のさみしさに向き合い、ありのままの裸の自分なんて見ないほうがいい、と思っているはずです。

 しかし、私は依存や思考ないところ、誰もが怖いと忌み嫌うところにあえて自分を置くのには意味があると考えます。
 依存のない退屈、さみしさ、孤独にわけ入ってとどまった先に、人の意識、思考の流れから離れたあるがままの世界があるのに気づきます。
 このときに見るものは自分の意識に限定されないため、より多くのものが目に入ってくるでしょう。それを注意深く見ていくと、人の意識がつくだしたものでない、本当に大切な何かがあることに気づくはずです。
 この大切な何かを見つけることに生きることの意味があると思うのですが、今の時代の流れはこのことから人々を大きく離れさせようとしています。


 にぎやかな画面を消し、静けさの中で何物でもない自分。 
 その時間・存在に向き合ったときにまわりに現れてくるもの。 
 これを追求したいのですが、本当に難しいです。
 やっぱり気晴らしの方に心が流れて行きます・・・



コメント
トラックバック
トラックバックURL
コメントフォーム
管理者にだけ表示を許可する
プロフィール

Author:まやと
努力なしで最大限の成果を得られる健康法を日々探求しています。趣味 野菜料理を作る 音楽を聴く
ツイッター@mudoryoku

最新記事
ブログ村
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:


Page Top
Powered by FC2 Blog | | Template Design by スタンダード・デザインラボ